立役者・棚橋弘至が語る! プロレスブーム再燃のカギ

スポーツ

更新日:2016/3/14

 イノキといえば、知らない人はいない。チョーシュー、フジナミなら、ある年齢以上の男性には一般常識の範囲内。ムトウ、チョーノ、ハシモトとなると、そろそろ「誰だっけそれ?」という人が増えてくる…。これが、プロレスラーの知名度のリアルだろう。つまり、プロレスが世間に認知されていたのは、90年代くらいまでのことなのだ。

 では、00年代以降のプロレス界はどうなっていたのか? それを教えてくれるのが本書『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』(棚橋弘至/飛鳥新社)である。

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 書名にも登場する棚橋弘至は、まさに“黒歴史”としか言いようのなかった、新日本プロレス史上最大となる低迷期の幕開けとともにデビューをしたレスラーだ。低迷期を迎えた最大の要因は、当時勃発した、いわゆる“格闘技ブーム”だった。K-1やPRIDEといった、巨大資本がスポンサードした興行に観客を奪われた新日本プロレスは、人気回復のため格闘技路線に歩み寄ったり、見当違いな演出を行ったりと迷走を続け、動員数が減少。さらに、そうした会社の意向に従えない主力レスラーたちが続々と退団したことにより、人気低迷にさらに追い打ちがかかる。棚橋の同期からも離脱者が出た。

 その時、棚橋はどうしたか?

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僕は会社が打ち出す新しいイベントや新しい試みには自分からどんどん乗っかっていった。

<中略>

上司から振られた仕事の中には「無茶ぶりだ」と感じるものもあるだろう。だけど、それを拒否したり、やる気もなくただこなしていたら、それは自分が成長するチャンスを逃すことになるのだ。(第3章P64_65より)
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 一見した限りでは、単なる「優等生」的なコメントである。実際、そんな棚橋の姿勢は当時のファンから拒絶され、どの会場でも“本気の”ブーイングが飛び交う時期が2年以上も続いたという。

 そんな棚橋を、いや、新日本プロレスを救ってくれたのは、巡業先のホテルで出会ったマッサージのおばちゃんだった。

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「僕、いつもプラス思考なんですよ」
そうしたら、なんとおばちゃんに一喝された。
「あなた、それはとっても危険よ」
おばちゃんは、プラス思考はもちろんいいことだけど、その前に「まず、すべてを受け入れなさい」と言う。プラス思考・マイナス思考の上位に「物事をありのままに受け入れること」があるというのだ。(第4章P91より)
—-

 結果、棚橋は、批判を気にするよりも、まだプロレスを観たことがない人に、プロレスを広めるための努力をしよう、と発想を切り替える。

 初めてプロレスを観る人が多い地方の会場では、ファンとコミュニケーションをとる時間を必ず設ける。これまでは営業部の人間だけが行っていた営業活動に積極的に参加し、プロレスの魅力を説明する。どんなに小さな枠でも、メディア露出のオファーは断らない、など。「試合で見せてナンボ」が常識だったレスラーの世界で、棚橋がとった行動は逆に非常識なものだった。しかし、その非常識で地道かつ努力が実を結び、業績は徐々に回復。棚橋の活動に賛同する選手もあらわれ、ついに新日本プロレスは、数度目のブームを迎えることになる。

 それが、まさに今現在のこと。2014年5月には、約10年ぶりに横浜アリーナでの興行を成功させ、その8月には初めて西武ドームに進出した。

 基本的にはプロレスファンのために書かれたものではあるのだが、どん底にあった新日本プロレスという会社が、ひとりの若手の発想転換と努力により良い方向へ変わっていく(そして、その若手がプロレス界のエースへと成長していく)過程は、ビジネス書としても十分な示唆を与えてくれる。かつて、チョーシューやハシモトに熱い声援を送った世代はもちろん、今あらたにプロレスに興味をもったという人たちにも、ぜひ読んでほしい1冊だ。

文=石井智ヒ郎