官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第49回】草野來『柏木シェフの発情レシピ~Kissから召しあがれ~』

公開日:2014/7/8

草野來『柏木シェフの発情レシピ~Kissから召しあがれ~』

装丁デザイナーの私・日原のぞみは、ひょんなことから行きつけの洋食店“ベラミ”のオーナーシェフ・柏木さんとカラダの関係に。いつも穏やかで愛想のよい彼がベッドの中で見せる顔は、意外なほどエロティックでSっ気たっぷり。でも私たちは恋人じゃない。互いの利害が一致した夜にだけ許される、純然たるセックス契約。互いを縛る形を避けたはずなのに、彼を想うだけで心が揺れるなんて――。“恋”は契約違反ですか……?

 

 行きつけの洋食店、ベラミのオーナーの名字が柏木(かしわぎ)さんということは知ってるけれど、どうしても彼を名前で呼べない。だからいつも「オーナー」と呼んでいる。

「オーナー」

「はい」

「もう一杯お願いします。オーナーも、いかがですか?」

 時刻は午前二時になろうとしていて、十分ほど前に最後のお客さんが帰ったところだった。後片付けが終わる頃合いを見計らって、声をかけた。気軽に、他意なく如才ない感じで。

 空になった私のショットグラスに琥珀色に光るウィスキーを注ぐと、オーナーはグラスをもう一つ取りだす。

「では、いただきます」

 ビールでもあおるみたいに、ひと口できゅっと呑んでしまう。

 オクタゴン型の、シンプルだけど品のいい眼鏡に色白の整った顔立ち。奥二重の目は穏やかに知的な雰囲気を醸し出して、白いコックコートと黒い短髪が清潔さを、小さな頭を覆うハンチングが“遊び”を見せて、なかなかにすてきな外見だと思う。

 笑うというより微笑むという感じの笑顔は、よく言えば優しげ、意地悪な見方で言えば優男風でもある。私同様、この店によく通っている女性客たちがオーナーを「男性の匂いがしない」「ひょっとしてゲイかも」と、こっそり評している気持ちも、分からないではない。

 だけど実は、この人はかなり男性的であり、かつゲイではないということも、私は知っている。

「もう一杯いただきます。これは自分にツケますから」

 そう言って、オーナーは自分のグラスに二杯目を注いで、一杯目よりもゆっくりと呑む。

 男性にしては柔和な顔立ちをしたオーナーの、意外なほどの呑みっぷりのよさ。そのくせお酒が入ると涼しげな目がうっすらと充血して、当人は意識してないだろうけれど、なまめかしくなる。

「なまめかしい」という表現が、はたして男性に対して褒め言葉になるのかどうか。だけど、これまで私は男の人に色気を感じたことなどなかったので、オーナーから酔眼をぴたと当てられると、つい、どきりとなる。

 チェイサー代わりの氷入り炭酸水を口に含んで、ウィスキーの匂いを消した。同じものを呑んでいるのだから気にしなくていいとは思うものの、この状況ではいつもこうするのが癖になっていた。

 私が飲み終えるのを待っていたかのように、オーナーはハンチングを取ってカウンター越しに身を乗り出した。

 唇がふれる。舌が入ってくる。ウィスキー独特の苦みと香気と、かすかな甘み。そして情欲の味が広がっていく。

「……っ……」

 喉の奥から小さな呻きがもれた。

 オーナーのキスはなめらかでやわらかい。唇の感触も、舌の弾力も、絡ませ方も舐め方も強弱のつけ方も、「上手い」というのとは少しちがう。「いい感じ」がする。とてもいい感じのキス。ずっとこうしていたいと思うくらい、この人とのキスはいい。

 だけど、私が応じる動きをしはじめると、唇はすっと離される。オーナーから薄い笑みを向けられる。自分にはキスより他にしなければいけないことがたくさんあるんだ、とでも言いたげな、慇懃な微笑。

「日原(ひはら)さんは、明日はお仕事ですか?」

「……はい」

「じゃあ、そろそろ上に行きましょうか」

 色気もムードもあったものじゃない、ビジネスライクな口調。なのに、そんな言い方にもなまめかしさを覚える私は、同じくビジネスライクに答える。

「了解です」

 

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