官能WEB小説マガジン『フルール』出張連載 【第50回】中島桃果子『甘滴恋情事(あまだれこいじょうじ)』
公開日:2014/7/17
中島桃果子『甘滴恋情事(あまだれこいじょうじ)』
激動の昭和初期、エロティックなサービスが巷に溢れていた頃、元・芸妓の君志乃(きみしの)は、健全なカフェーの女主人として店を盛り上げていた。健全がゆえか色恋とは遠ざかり、とある湯屋にある淫靡なマッサージ――『指』による愛撫だけで女の悦楽を得ていた。だがある日、興業装幀家・粋元硯(いきもとすずり)と運命的な出逢いを果たす。巷の女が誰しも憧れる彼のスマートな手ほどきに導かれ、忘れていた恋を得る君志乃。滴るような甘いときめきに、涸れていた身も心も再び花ひらく――。
【プロローグ】『指』
『指』は湯殿に隣接するマッサージ室で、部屋の中心にカーテンが引かれて、互いに顔は見えなくなっていることから『指』と名付けられていた。
男の子たちの素性はわからなかった。
そしてそんなことはどうでもよかった。
『指』で大切なことは、その指がいかに君志乃(きみしの)の中から日々の鬱憤や憂鬱、あるいは退屈を、快楽と共にかきだしてくれるか。同時に、渇いたからだに、めくるめくような高まりと、潤いを、恍惚と共に与えてくれるか。それに尽きた。
女として平淡な日々を送るからだは、震えるような絶頂を欲していた。
君志乃が、『指』にいる男の子たちの中でもとりわけあの子をいいと思ったのは、君志乃の中に挿し入れられたその指が、偶然に、ぴちゃん、と水音を立てたときだった。
あの子は小さく「すみません」と謝った。
君志乃は小さく、……え? と返した。
「つまり、その……」
男の子は黙り、その後「いえ」と小さく呟くと、滴の漏れる君志乃の内側で、その長くて細い指をするりと反らせた。
指の内側は、挿し入れた内部の、ちょうどおへその真下にくるあたりの、これまでの刺激ですこし膨らんだ部分にそっと押し当たった。
今度は音はしなかった。
女がそれを好むだろうと、わざと爪弾いて水音を立てる男の子だっているというのに。
偶然に立ってしまった水音を、浅ましいと感じて詫びたこの男の子の感性は清らかで、そうであるがゆえに君志乃の内なる何かを焚きつけた。
「いいの」
君志乃はそう言った。
「あなたになら、音を立てて欲しいわ。お願い、そうして」
カーテンの向こう側で、一瞬とまどった間ののち、何かを決めたような気配があった。
男の子の指は、再び、氷の上の踊り子の足のように、君志乃の内側を、弧を描きながら滑り始めた。
君志乃のからだは自然にそれに反応して、まるで雨漏りのように、その指で塞がれているはずのからだの出口のすきまから、やわらかい
水が漏れた。
……ぁ…んん……。
水滴はおそらく男の子の中指の付け根をつたい、手首のあたりまで延びてゆく。
ぴちゃん、ぴちゃん。
君志乃が求めた通り、その子は彼女の水溜まりの中をその指で強く奏でた。
急かしたり、焚きつけるために立てる水音と、これはまるで違う。
君志乃はそう思うと同時に、その優美で情緒的な潤いの音にうっとりしながら、彼の指がもっと強く当たるように、寝転んだまま膝を曲げて、すこし腰を浮かした。
昨年、ウォール街で「暗黒の木曜日」と呼ばれた株の大暴落があって、以来、悪くなっていく景気に悪あがきするように、人々はお酒や音楽や、笑いや快楽や、または何か過激でおどろおどろしいものを求めて加速していた。
あっちでもこっちでも毎夜毎夜、乱痴気騒ぎが起き、自らをモダンガールと名乗る若い女の子たちは髪をおかっぱに断髪してはダンスにあけくれ、恋人たちはみな心中し、浅草では毎週踊り子がズロースを落として男性客を喜ばせていた。
京橋に近い銀座のはずれに「雨滴(あまだれ)」と呼ばれる一軒のお店があった。
こぢんまりしてはいるが、客足の絶えないそのお店の、君志乃は女主人だった。
もちろん『指』の男の子たちはそれを知らない。
「……もっと早く……っ……奥までして」
君志乃は、吐息を洩らしながらそう言った。
時間をかけてすっかり熟れた、君志乃の内側で指は俊敏にするすると、意図的にあっちこっちにぶつかりながら暴れた。
ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。
まるでバケツに放り込んだ釣りたての魚のように、それらは飛びはね、同時に君志乃の細長い廊下の行き止まりの部分に、鈍く、しかし強い摩擦で突き上がってくる。
「……あ……もうだめ……」
からだの奥がつるような感じになって、その向こうに落ちるとき、決まって君志乃は、ものすごく突発的に喉が渇くような、からだ中が引き潮になってしまうような感じに陥る。
ああ。引きずられていく。
からだから潮が全部ひいてゆくと思った瞬間を、その指は逃さず捉える。
指は螺旋を描いて奥に進み、挿し入れられた内側の、一番奥のところをぐぐぐと刺激し、さらに高みに導いた。
空気という空気が喉の奥に吸い込まれ、からだのただ一点を除いて、全部がからからに渇いて血の気が引いてゆく。
「……い……」
君志乃は、そこで向こう側に落ちた。
ああ。酸素が足りない。
ぐったりとしたまま、ドクンドクンと波打つ内側の余韻の収縮の中、しばらくじっとしたのち、指はずるり、と抜き取られた。
熱い滴が、その指が抜き取られるとき、一緒に、だらりと垂れた。
渇いていた自分の中に艶が満ちていくのを君志乃は感じる。
とりわけ今日は、その艶に、わずかでもときめき、や、胸の高まり、みたいなものが混ざって在った。
恋とか愛とかには比べものにならないくらい些細なものだけれど、そういうものが何もないよりはあった方が楽しい。何より心も艶めく。
好きなひとがいない日々というのは、女としてはとてもつまらないものだもの。
『指』には、この子がいるときに来よう。
恍惚に溶けてぼんやりとする頭で、君志乃はそう思った。内側の収縮は収まったが、心臓はまだドクドクしている。からだはまだ熱した鉄のように火照っている。
わたしの中を血がめぐっていく。手の先は冷たいけれど。
同じ頃、東京の街では、アメリカから入ってきたジャズと呼ばれる音楽が流れ、人々はつかのまの享楽に身を委ねる狂騒の夜を過ごしていた。
後に「エロ・グロ・ナンセンス」と呼ばれるこの時代を、確かにいま、君志乃も生きている。
2013年9月女性による、女性のための
エロティックな恋愛小説レーベルフルール{fleur}創刊
一徹さんを創刊イメージキャラクターとして、ルージュとブルーの2ラインで展開。大人の女性を満足させる、エロティックで読後感の良いエンターテインメント恋愛小説を提供します。