1人のフリーライターが綴る「娼婦たちが見た日本」 ―アニータは本当に悪女だったのか?

社会

公開日:2014/7/29

 アニータ・アルバラードという女性を覚えているだろうか。

 青森県住宅供給公社に勤める男性と結婚し、夫が公社から横領した16億円のうち約12億円を貢がせたチリ人妻として、ワイドショーや週刊誌にひっぱりだこだった人物だ。稀代の悪女と騒がれた後、お笑いやモノマネのネタとして使われていた光景を思い出す方は多いだろう。

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 でも、アニータが出稼ぎのために日本へやってきて、売春で生計を立てていた「じゃぱゆきさん」だったことを記憶している人は、果たしてどれくらいいるだろうか。

 2010年1月、ライターの八木澤高明はアニータに会うためにチリへと向かった。

 かつてマスコミを賑わせた悪女がその後どうなったかを知るため、ではない。「じゃぱゆきさん」としてやってきた彼女が日本という国をどう思い、過ごしていたかを八木澤は知りたかったのだ。

 八木澤高明『娼婦たちから見た日本』(KADOKAWA 角川書店)はアニータのような女性、つまり娼婦たちの生活を追ったルポルタージュだ。徹底した現場主義の八木澤は、横浜黄金町、沖縄、チリ、フィリピン等々、国内外のあちこちを飛び回り、夜の街で働く女性たちの姿を記している。

 本書における八木澤のスタンスは、プロローグに書かれたこの言葉に全て集約されている。

 「娼婦は、常に日陰に生きている。その存在から漂ってくる危うさ故に、私は彼女たちを知りたくなってしまう。旅を続けていくうちに、売春の歴史も辿ることで、日本という国を普段とは違った角度から見られるのではないかと思った。」

 それぞれの事情を抱える娼婦たちの暮らしを活写しながら、そこから浮かび上がる日本社会の姿、日本の歴史を読み解く。そうした「日本とは何か」という問いに貫かれているところが、単なるルポに留まらない読み応えを本書に与えているのだ。

 例えば、横浜黄金町の売春街。2000年初めにこの街の取材を開始した八木澤は、ユリというタイ人娼婦の交流と、警察の取り締まりで廃れていく街の風景を描きながら、黄金町がなぜ娼婦の街として発展していったのかを1853年のペリー来航までさかのぼり、丹念に紐解いていく。

 横浜の売春史は1859年、幕府が横浜開港の直後、外国人向けに作った「港崎遊郭」にはじまる。訪れる外国人が増えるにしたがい、チャブ屋と呼ばれる横浜独自の風俗が流行り賑わいをみせるが、日米開戦とともに衰退。大空襲によって焼け出された横浜に再び風俗の隆盛をもたらしたのは、アメリカ進駐軍であった。伊勢佐木町に流れる野毛から黄金町にかけての大川沿いに、米軍基地から流れてくる物資を売る闇市が立つ。黄金町はそこに集う労働者相手の売春から発展していったのである。

 黒船来航、太平洋戦争…誰もが教科書で学んだ出来事の裏にある、語られない日本史に八木澤は切り込んでいく。ここに80年代、プラザ合意に端を発する日本企業の海外進出とともに、日本円を稼ぐことに魅力を感じた東南アジア女性が大勢やってくる「じゃぱゆきさん」の登場、そして開港150年を控え「国際都市の名に相応しい街にする」という名目で警察が行った2005年の摘発まで加えると、ひとつの街が富や権力を持つ人間に翻弄されてきた物語が見事に立ち上がるのである。権力側の思惑がいかに移ろい易いものであるか、それに弱い立場のものがいかに振り回され続けたか、を八木澤は娼婦たちを通して訴えかける。

 冒頭で紹介したアニータへの取材でも同じだ。チリを訪れた八木澤は、アニータが日本で巨額の富を手にし、成功を収めた「ジャパニーズドリーム」の体現者として祭り上げられているのを見る。「横領した金で何がドリームだ」と顔をしかめる読者もいるだろう。しかし、八木澤の取材が進むにつれ、彼女が日本へ出稼ぎに来ざるを得なかった理由、そしてチリと日本の経済事情が浮かび上がり、思わず考えさせられてしまう。あの時、日本人はアニータを見て「悪女」「欲深い女」と手をたたいて笑っていた。しかしアニータを生み出したのは、実は日本の経済状態ではなかったのか。そうした皮肉な構図に気付き、胸がちくりと痛む。

 八木澤高明は1972年、神奈川県横浜市生まれ。写真週刊誌『フライデー』(講談社)のカメラマンを経て、04年よりフリーランスのライターとして活動、13年刊行の『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』(小学館)で第19回小学館ノンフィクション大賞を受賞している。

 本書にも八木澤自身が撮影した娼婦たちの写真が収められている。笑顔の表情、疲れたように目を閉じる表情。八木澤は娼婦たちの豊かな表情を捉えている。でも八木澤はファインダーの向こうに見ているのは、彼女たちの顔ではない。気まぐれに、身勝手に弱者を惑わす、日本という国の姿なのである。

文=若林踏

『娼婦たちから見た日本』(八木澤高明/KADOKAWA 角川書店)