【努力する必要はないと思っていた…】アイドルが憧れるアイドル“道重さゆみ”ができるまで

芸能

更新日:2014/8/4

 道重さゆみ、25歳。アイドル戦国時代と言われ始めて久しいが、彼女が多くのアイドルたちの鏡になっていることをご存じだろうか。AKB48の小嶋陽菜や渡辺麻友、入山杏奈、SKE48の松村香織、乃木坂46の高山一実、アイドリング!!!の菊地亜美、SCANDALのMAMI…。彼女に憧れ、ファンであることを公言したり、彼女のバースデーイベントで販売されたTシャツを愛用したりするアイドルはかなり多い。

 そう、モーニング娘。’14の最年長にして在籍期間最長のリーダーは、アイドルも憧れるアイドルなのである。道重さゆみの25歳の誕生日である7月13日に発売された『道重さゆみ パーソナルブック「Sayu」』(ワニブックス)を開いたならば、その瞬間に私たちは彼女のアイドル性を確認させられる。細い体に白のワンピースをまとい薔薇園に立った少女は、はかなくまばゆい妖精のようだ。

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 しかし、アイドルたちが見ているのは、道重のこうした華やかな一面だけではない。もちろん、一般的に知られているような、バラエティ番組で毒を吐くナルシストな姿だけでも、返り咲いたモーニング娘。で10代のメンバーを引っ張るリーダー像だけでもない。彼女たちの目に映るのは、道重のアイドルとしての生き様なのである。

 道重さゆみが「大好きなモーニング娘。になりたい!」とオーディションを受けたのは、2002年。そして、亀井絵里、田中れいな、ソロとして活躍していた藤本美貴とともに6期メンバーとなり、5月にはさいたまスーパーアリーナで行われたコンサートでステージデビューした。

 紅白歌合戦を終えた藤本美貴が加入したことで話題となったこのころのことは、おぼろげにでも覚えている読者も多いかもしれない。だが、道重が『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)に登場するまで、記憶に空白がある人がほとんどなのではないだろうか。事実、道重加入時のモーニング娘。は、一世を風靡した時代から少しずつ失速していた。NHKの紅白歌合戦に出場するのも、道重のデビューした2002年が最後となっている。

 あまたのアイドルたちが見つめているのは、この間の暗黒期とも呼べる時期を含めた道重さゆみの歴史だ。実は、彼女はこの間に知られざる苦悩の数年間を送っている。その歴史を探るべく、『Sayu』を紐解いてみたい。

●歌もダメ、踊りもダメ、劣等感で「目立たないこと」を目指していた新人時代

オーディション直後の話から始めよう。亀井、田中の2人とともに合格した道重は13歳。歌はもちろん、幼少期にエアロビクスを習っていたこともあり、ダンスも自信満々だったという。だが、彼女はファンの中で語り草になるほどの音痴で、ダンスも褒められたものではなかった。実際にプロデューサーのつんく♂の漏らした「道重は歌が…」という言葉や、道重の中学の先生の「歌を聞いてコーヒー吹いた」というセリフにショックを受けたらしい。

「自分は全て揃ってる人間だと、勘違いしていたんです(笑)。しかもモーニング娘。は才能がある選ばれた人たちの集まりだから、裏で努力したり、練習したりする必要はないってここでも思い込んでいました」

 こうして自らの現実を突きつけられた13歳の少女は、先輩たちに恥をかかせないようにと懸命に努力する。その方法は、パフォーマンス中に「いい意味で目立つなんて絶対有り得ないから」「どうしたら印象を消して、悪目立ちしないようになるかっていうことばっかり」。

 さらに、「歌もダンスもダメ」という劣等感を抱えたまま、現在は雑誌『CanCam』(小学館)で専属モデルを務める7期メンバー・久住小春の教育係に。その子どもらしいわがままに振り回されて、ストレスで無意識に眉毛を抜きまくっていたときもあった。道重はもともと、小学生のころダンゴムシしか友達がいなかったぐらいに内気な少女なのだ。しかも、末っ子として育ち、他人に強くものを言えるタイプではなかった。

●道重さゆみを救った地方局のソロラジオと、明石家さんまのひとこと「面白いな! お前」

 2006年、道重は次なる壁に突き当たる。パフォーマンスへの自信のなさから目立たないように振る舞っていたため、「“逆に自分には目立つところが全然ない!”ということに気づいてしまった」のだ。そんな道重を救ったのが、ソロのラジオ番組『道重さゆみの今夜もうさちゃんピース』だった。

「でも、ラジオこそが正に自分の求めていたものだったんです!! そこで初めて、自分の気持ちを言葉にすることができて、それによって、“自分は喋ることが好きなんだな、思っていることを言葉にすることって大事なんだな”と気付くことができたんです。
 ファンの皆さんに自分の気持ちを伝える場ができたことで、他の仕事にも前向きになってきました」

 現在でも道重はラジオでは普段は話せないようなホンネトークをしたり、ときには感極まって号泣したり、メンバーへの熱い想いを語ったりしている。おそらく、ラジオという”自分のホーム”は他人が考える以上に彼女の支えになっているのだろう。

 ソロラジオが始まった後には、道重は明石家さんまがメインパーソナリティーを務めるラジオ『ヤングタウン土曜日』のレギュラーに就任。「印象的なことを言いたい」「明石家さんまさんに面白いって思ってもらいたい」という気持ちが芽生えたが、大御所の前でそんなことはできなかったと回想する。

 さらに、明石家さんまとのやり取りの中で印象的な出来事があったという。自らがモーニング娘。の舞台でセリフのない妖精という端役しかもらえなかったことを「天井から吊り下げられているだけの役」と自嘲気味に話したところ、「面白いな! お前」と笑い飛ばされ、マイナスがプラスに転じることもあると初めて知ったというのだ。

●テレビ出演で知った「モーニング娘。をだれも知らない」という現実…からの快進撃

 そして快進撃は始まる――。とはいえ、それもまた、マイナスがプラスに転じた結果でもあった。2009年、テレビへのソロ出演が増えてきた道重を奮起させたのは、”モーニング娘。の現実” だったのだ。

 彼女は、共演者から「今、モーニング娘。って何人なの?」「リーダーは誰?」と尋ねられ、モーニング娘。の知名度が、自分の考えているよりはるかに低くなっていることに初めて気づく。そして、道重の意識も変化する。

「それまでは“自分を知ってもらいたい”だったのが、“今のモーニング娘。を知ってもらいたい”という気持ちに変化していきました。まずは私を見てもらい、可愛いキャラや毒舌で知名度を上げていく。それでたとえ私が嫌われたとしても、ムカつかれたとしても、それがきっかけで他のメンバーや今のモーニング娘。に興味を持ってもらい、好きになってもらえたらいいなって思ったんです」

 同様のセリフを『いきなり! 黄金伝説』(テレビ朝日系)の1カ月1万円生活の企画で目にした人もいるかもしれない。ともあれ、当時の道重は自らネタ帳を作り、番組収録後やオンエアチェック後には反省点を書き込み、日々のネタを仕込むようになった。もちろん共演者のネット検索も欠かさない。そんな努力の末に勝ち得たのが、あの「嫌いな芸能人ランキング」の常連としてランクインし続けていた道重さゆみの姿なのだ。

 その後、同期であり同士であり親友でもあった亀井絵里の卒業、新メンバーの加入、不遇の時代をともにした高橋愛、新垣里沙、田中れいなの卒業を経て、リーダーに就任したのが2012年。劣等生として加入した少女は大いに迷い、リーダーの重圧に涙したこともあった。そして、目指したリーダー像とは。

「散々悩んだ挙句、“自分が、自分がという部分はきっぱり捨てて、他のメンバーのことを第一に考える”という結論に至りました。まず、TV出演やライブ、イベント、多くの方に見てもらえるチャンスは1つ1つ大切にしました。そこで若いメンバーそれぞれのいいところをみつけ、アピールできるよう、印象に残るようにと心がけました」

●道重さゆみというアイドルが大切にしてきた4つのもの

 2014年、彼女はずっと愛し続けたモーニング娘。を卒業する。『Sayu』のロングインタビューを道重さゆみはこんな言葉で締めくくっている。

「モーニング娘。に対する気持ちは、この12年間、まったくぶれなかったです。ぶれるどころか、先輩たちから愛を教えられて、ファンの人たちから愛を受け取って、モーニング娘。が更に好きになりました。(中略)モーニング娘。は、私の人生の全てです。これだけは胸を張って言えます。
 道重さゆみは、モーニング娘。になるために生まれてきました」

 モーニング娘。が好きだから。言葉にすれば陳腐だが、これが25歳になっても10代のメンバーに交じりながら全力で踊り、いまだにつたないながらも堂々と歌い、見るものを一瞬の表情だけで魅了するまでの力にまでなるのだから見事だ。道重さゆみに憧れるアイドルたちは、彼女の葛藤や勇敢さを知っているからこそ、磨き上げられたかわいさを「かわいい」と口にするのだろう。

 『Sayu』は、スタイルブックという形をとっている。グラビアやコーディネート術、メイク術、ワードローブなどの要素も見応えはあるし、アイドルらしい100問100答も弁の立つ道重ならではの面白さがある。引用してきたインタビューも、AKB48が出てきたころの印象などにも触れるなど、読み応え抜群だ。ファンの間で”姉重”と呼ばれる、仲良しの姉との共作も楽しい。

 この1冊には、道重さゆみがずっと大切にしてきたものがたくさん詰まっている。モーニング娘。と家族、大切な人との人間関係、そしてやはりかわいさへのあくなき追求。『Sayu』という飾り棚には、道重さゆみを知るためのすべてがかわいく陳列されている。

文=有馬ゆえ