17歳の少年による“体験殺人”ルポルタージュから、佐世保同級生殺人を読み解く【前編】

社会

更新日:2014/8/20

「人を殺す経験をしてみたかった」

 これは14年前、愛知県豊川市で老女殺人事件を起こした17歳の加害少年が捜査員に発した言葉だ。心が冷えるような言葉である。

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――2000年の5月、なんの前触れもなく、少年は学校帰りに見知らぬ老女を殺害した。帰宅した夫が血だらけで倒れている妻を発見。現場から立ち去ろうとした少年に出くわし、夫も首を刺された。軽症を負いながらなんとか警察に通報したが、妻は顔面や頭部をげんのう(かなづち)で殴打されたうえ、包丁で全身を40箇所以上も刺されて死亡した。非行歴もなく、知的能力の高い17歳の少年が突如起こした、残忍な犯行だった。

 しかし、検察側の精神鑑定はこの事件を、恨みや金銭という動機がない“純粋殺人”と結論づける。鑑定は再度行われ、その結果を受けた家庭裁判所はやはり、刑事罰ではなく、少年には“医療と教育が必要だ”と判断した。よって、加害少年は医療少年院に送致された。捜査機関からもれ伝わる、少年の一連の不可解な供述はそのままに――。

 この加害少年の膨大な“供述”をもとに周到な取材を行い、『人を殺してみたかった 愛知県豊川市主婦殺人事件』(双葉社)を上梓したのが、ノンフィクション作家の藤井誠二さんだ。

 藤井さんは、先月長崎県佐世保市で起きた高1女子による同級生殺人事件の一報を聞き、加害少女が供述したとされる言葉から、すぐに14年前の豊川の事件を思い出したという。そして「あの事件に、佐世保事件のヒントになるような事実が詰まっているのではないか…」とも。そこで藤井さんに、14年前の事件のことからお話をうかがった。

■自分でも動機がつかめない、特異なパーソナリティをもつ加害少年

「加害少年の“人を殺す経験をしてみたかった”という言葉は、捜査官とのやりとりの中から出たものです。僕は、彼が殺人を犯した理由は、社会へのいらだちや自己承認欲求が満たされない憤りから“幸せそうに見える人を殺したいと思った”というような、感情にもとづく動機とは、明らかに異なるものを感じました。

 少年は非常に特異なパーソナリティをもっていました。ふだんから部活動にまじめに取り組み、校内での成績も優秀で、理科系の国立大学に進学を希望するほどでしたが、供述調書からは、人を殺すことに対してのハードルがあまりに低かったことが読み取れました。彼は1歳半のときに両親が離婚して父親に引き取られ、教員一家で地元の名士である祖父母の家で育ちましたが、しかしそういった生育環境や、彼自身の気質的なもの、読んでいたコミックの影響などのさまざまな要因は、殺人動機に短絡的にひもづけられるものではない。そんなふうに思えてきたのです。

 今回の佐世保の事件の加害少女の場合も、両親や母方の祖父はある種エリート層であり、彼女自身も県立の進学校に通う優等生。“人を殺して解剖してみたかった”“遺体をバラバラにしてみたかった”など、供述の断片も14年前の少年ととてもよく似ていました。さらに犯行の様相も似ており、年齢も近く、そのような事柄から、ふたりのパーソナリティも類似しているのではないかと感じたのです。

 実は、精神科医は豊川の事件の少年について、あるひとつの診断結果を導き出しています。その経緯は本書にも書いたのですが、当時の児童心理の専門家の中には“この鑑定は間違っている”と反論する方もいらっしゃいました。それだけ少年犯罪における精神鑑定は難しく、果たして当時の診断が妥当だったかどうなのか、その点については、今でもよくわからない部分があります」

 ちなみに、精神科医の町沢静夫氏は佐世保の加害少女について、「遺体をバラバラにして快感を感じているので、“サイコパス(精神病質)”といえます。極端に冷酷で感情が欠如しており、他人に対して思いやりが乏しいのが特徴です」(『週刊朝日』2014年8月15日号)と分析している。

■命の大切さを伝えるメッセージから“切断”されているパーソナリティの子どもたち

「両者で違いがあるのは、佐世保の加害少女の場合は、給食に漂白剤を入れたり、猫を解剖したり、父親を金属バットで殴るなど、前兆としての異常行動が多々あったこと。それがなぜなのかは、今後取り調べていくのだと思いますが、とにかく少女のカウンセリングを担当するうちに“このままではいつか人を殺してしまう”と不安に感じた精神科医が、児童相談所へ相談したほどなんですよね。ところが、明らかにおかしなサインがたくさんあったのにもかかわらず、事件を未然に防げなかった。父親を始めとする周囲の大人たちが、事件が起きるたびに、彼女が発していたSOSともいえる異常行動を、危機感をもって対応していなかったのではないかとも推測できます。

 同じように事件を未然に防げなかった例としては、豊川の事件と同じ2000年5月に発生した、佐賀の西鉄バスジャック事件の少年が思い出されます。彼も17歳でした。彼はバスジャックをする前に、小学校を襲撃しようと武器を収集していたのですが、それを部屋に入った母親が見つけて、驚いて警察に相談した。なんとか医療保護入院にこぎつけたのですが、しかし、加害少年は病院内でいい子を演じてあっという間に退院。精神科の医師も、もう寛解(症状が消滅)したのだと、コロっとだまされてしまったわけです。心理鑑定なんて逆に見透かすようなところがあるくらいに、非常に知能が高い少年でした。そして彼は退院したその足でバスジャックを行い、乗客のひとりを殺害したのです。

 僕は専門家ではないですが、いくら“命は大切である”と教えても、今の社会には、その区別や善悪の判断がつかない子どもたちもいるのだと思っています。友達と普通につきあうけど、一方で平然と猫殺しもしてしまう。ものごとの捉え方や解釈が、通常とは異なる子どもたちがいる。“命は大切だ”というメッセージから、あらかじめ切断されているパーソナリティの子どもたちが、ごく一部にはいると思うんですよ。

 そんな緊急性を要する子どもたちから、前兆行動のようなもの、いつもとは違う異変を感じたときにはやはり、警察や児童相談所、学校や病院が連携して、場合によっては身柄を一時的に拘束するような措置も必要で、さらに薬物投与もふくめた精神医療を施すこと。あるいは、継続的なカウンセリングを受けるなどの治療プログラムが施される必要があると思っています」【後編】に続く。

取材・文=タニハタマユミ