「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」フランスの哲学者・アランによる、幸福についての93編の話

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公開日:2014/8/28

 アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』で、第5使徒「ラミエル」が放つ荷電粒子砲をシールドで受け止め、初号機と搭乗する碇シンジを守った零号機のパイロット、綾波レイ。シンジが使徒を撃破し、なんとかこの「ヤシマ作戦」には成功したものの、零号機は大破。「綾波!」と名前を呼び続けながら、シンジは零号機のエントリープラグを回収、呼びかけに応えたレイを見て安堵し、涙を流す。しかし泣くシンジを見て、感情というものが理解できないレイは「ごめんなさい。こういうときどんな顔をすればいいのかわからないの」と言う。それに対してシンジは「笑えばいいと思うよ」と微笑み、それを見たレイも笑みを浮かべる――それまでは無表情か、苦痛に顔を歪めるだけだったレイが、初めて笑顔を見せたシーンだ。この笑顔は、その後の2人の関係性が変化していく重要なポイントとなっている。

 シンジはなぜあの場面で「笑えばいいと思うよ」と言ったのだろう? そのひとつの答えとなりそうなのが、フランスの哲学者アランが著した『幸福論』(アラン:著、村井章子:訳/日経BP)にある「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」という言葉だ。

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 これは「友情には素晴らしい喜びがある」という書き出しで始まる「友情」と題された文章にある。「友にとって私の存在がほんのすこしでも本物の喜びになるのなら、その喜びを見て、今度は私が喜びを感じる」こととなり、お互いに「幸福は自分の中にあったのに放っておいたのだ、と」いうことに気づくのだという。また「きっかけということは、笑いだけに当てはまるのではない。自分の考えを知るには、言葉が必要である。たった一人でいたら、自分にはなれない。おろかなモラリストたちは、愛するとは自分を無にすることだと言うが、これはあまりに単純な考えだ。人は自分から離れようとするほど自分になり、自分が生きていることを強く感じるものである」とある。この作戦を通じてシンジはレイに、レイはシンジに「自分の中にあった幸福」を感じたのかもしれない。

 哲学書というと説明があまりに難解で、語句も独特な表現が使われているため、読んでみたけど結局何が言いたいのかよくわからない、なんてことがあるが、『幸福論』は93編のプロポ(断章)から成り、各プロポは見開きに収まるほどの短かさで、しかも平易な文章で書かれているので非常にわかりやすい。そして本書は新訳によって読みやすくなっており、装丁もビニールカバーに覆われるという昔の本のような感じがありながらも洗練され、非常に現代的な仕上がりとなっている。また各プロポには内容を端的に表す言葉とイラストがあり、ポップな印象も受ける。しかし約600ページ、厚さが4センチ弱と分厚い本なので、書店で見つけて怯む人もいるかもしれない。でもこの本は別に頭から順に読む必要はないと思う。思いついた時にパラパラとめくり、タイトルやイラストで気になったところを読めば、そこには何かしらのヒントや答えがあることだろう。

 最後のプロポ「幸福になるという誓い」には「悲観主義は気分に、楽観主義は意志による。気分任せにしていると、人間はだんだんに暗くなり、ついには苛立ち、怒り出す」とある。そしてアランは「そもそも上機嫌というものは存在しない。正確に言えば、機嫌というものはいつだって悪いものである。そう考えれば、幸福は意思と自制の賜物と言える。理性は機嫌にも意志にも奴隷のように従うだけだ」と指摘している。

 誰かの悪意に心が折れたり、腐ったり、いわれのない中傷にため息をついたら、本書を開いてみるといい。約100年前に書かれ、日本でも戦前から親しまれている本だが、少々病的な現代だからこそ染み渡ってくる言葉に満ちていると感じるだろう。

文=成田全(ナリタタモツ)