「群れない人間は信用できる」 自由? 身勝手? 蛭子能収の幸福論が深い!

芸能

公開日:2014/8/29

 蛭子能収さんが再ブレイクしている。きっかけはテレビ東京系『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』だと言われているが、その番組での蛭子さんのマイペースっぷりが面白い。

 旅番組なのに、旅先で名物を注文せずカレーやトンカツを食べる。
 民宿に泊まるのが大嫌いで、ビジネスホテルに泊まることを強硬に主張する。
 宿泊日数よりも少ない数の下着しか持ってこない。

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 これは氷山の一角に過ぎないが、蛭子さんのイメージと言えば…、
・自分勝手で空気が読めない
・ギャンブル大好き
・内向的で気が弱く、孤独なひと
 こんなところだろうか?

 仕事先の20代の若者は「僕は大嫌いです」とバッサリ言うほど嫌いな人もいるのに、最近はテレビでヒッパリダコの人気者。
 一体、人は蛭子さんの何を求め、何を見たいのか? 蛭子さんとは何なのか? 『ひとりぼっちを笑うな』(蛭子能収/KADOKAWA 角川書店)を読んで、その生き方や思考、魅力を探ってみた。

 蛭子さんはとにかく、ひとりぼっちでいることを望んでいる。テレビの打上げも、同窓会も、絵の合作も嫌い。
 人が集まり“群れ”を作ると、そこにはリーダーになる人が現れ、ある方向性を持った価値観が生まれ、共有され、強要される。
 個々では穏やかな人が、群れることで強くなったと勘違いし横柄になってしまう。
 “群れ”によって人間関係や人格が悪い方向へ働くことを、蛭子さんは危険視する。ゆえに「群れない人間は信用できる」と言うのだ。

「でもその一方で、同じ趣味を持ち、その一点だけで接点を持つ、互いに干渉し合わない“グループ”は良いモノだと蛭子さんは言う。
 麻雀のようにグループ内での勝ち負けが出るものだと、人間関係でトラブルが起こるが、例えば競艇好きのグループなら、儲かる人と損する人が出ても、それは個人の結果の集合体だから、問題はない、と。
 自分は自分、他人は他人、と完全に割り切ることで、蛭子さんは、何よりも大切にする『自由』を守ろうとしているのだ。
 その自由に踏み込まれないために、蛭子さんは集団においては「自己主張をしない」し、「内向的」に振る舞う。そのくせ「誰かに褒められたい」という欲求は持っている。褒められるために、編集者から意見を引き出すようにわざと隙を作ってみたり、読者の感想を調べて「機会があれば取り入れよう」としたりするしたたかさも持ち合わせている。

 そうやって「ひとりぼっち」を守ってきた蛭子さんにとって「孤独」とは何なのか?
 彼は「良い孤独」と「悪い孤独」があると言う。極端に解釈すると、人との関わりの有無が「良い孤独」と「悪い孤独」の違いだ。
 高校時代に入っていた美術部では、合作はやる気が出ないくせに、部室で集まって黙々と個人の作品を描く時間は好きだった。
 ひとりぼっちが好きなくせに、自分の家に奥さんがいないのは寂しくて耐えられない。
 結局、蛭子さんが求めているのは「ひとりだけどひとりではない空間」なのだ。
 正直言うと、「都合のいいことばっかり言っている」と思う。でも、誰でもそういう部分は持っている。”群れ”の中で生きるため、矛盾を腹に抱えたまま、他人の顔色を伺い自分を殺している人が多いのだろう。
 だから、蛭子さんの人気を表すとすれば─苛立ち8割、野次馬2割、オマケで羨ましい。

 本書を読んで、筆者が抱いた蛭子さんの印象は…
・自由に生きた結果仕事がなくなってもいいと思えるのは、やっぱりお金があるからだよね?
・ハンパなくギャンブル好きなんだろうな
・全然孤独じゃないし、かなりご都合主義的なひとりぼっちだ!

 そして…蛭子さんは、決して内向的ではない。人と関わりたいし、認められたい。
 人前で自分を目立たないようにしても、後ろ指さされても、決して壊れない自分を持っている。全然、弱い人なんかじゃない。
 もしかしたら、蛭子さんの強さに、みんな心の奥底で惹かれているのかもしれない。

文=水陶マコト

『ひとりぼっちを笑うな』(蛭子能収/KADOKAWA 角川書店)