あなたはそれでも愛せますか?  垂れ流し猫「シロミ」と十数匹の猫たち&両親との日常を描く猫コミックエッセイ

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

わたしたちがペットを飼いたいという欲求は一体どこから出てくるのだろうか? 寂しさを紛らわすため、あるいは何かに愛情を注ぎたいからだろうか。受けたいから? 与えたいから?

もちろんその理由は人によってさまざまだろう。

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しかし、わざわざ自ら艱難辛苦を味わうために飼う、という人はそうそういないのではないだろうか。癒しの源になるはずの愛玩動物がストレスの元になってしまうのだから。

それでも猫は出かけていく』(ハルノ宵子/幻冬舎)は、その「そうそういない」類の人である著者が、墓地で子猫を拾うところから始まるエッセイで、元は『猫びより』(辰巳出版)に8年にわたって連載していたものである。

その子猫に付けられた名前は「シロミ」。真っ白だからシロミ。まれに見る美猫で、青い瞳をピンク色の皮膚が縁取っている。左耳は軽くカールしておりそれが優雅な雰囲気を醸し出す。そして長く伸びた尻尾。しかし――その尻尾は垂れ下がったまま動かない。そしてよく見ると糞尿を垂れ流している。

その子猫は「馬尾神経症候群」という聞きなれない障害を負っていたのだ。これは尻尾の付け根辺りの神経が損傷を受けたゆえに起こる後天的障害で、そのため排泄がうまくいかない。元気に動きまわる子猫があちこちに垂れ流すのだ。通常であれば、どんなに美猫であろうと、その猫を飼うことで生じるストレスを考え躊躇するだろう。

しかし著者は……母親の反対を押し切ってまで飼ってしまうのだ。

実はこの著者、ハルノ宵子さんは家の中だけでなく外猫十数匹をも世話する愛猫家。しかし、闇雲に可愛がるだけではなく猫本来の生き方ができるよう見守りつつ、失われる命が生まれてこないよう、外猫たちを捕獲しては自費で動物病院に連れて行き避妊手術を受けさせているというのだ。交通事故や餌不足、病気などにより失う命を生み出さないようにするその献身的行動には頭が下がる。

シロミが家にやってきてからは当然その後始末に追われるわけだが、コロンコロンとした、また時には泥のようになってしまったり獣医師によりかき出してもらう必要のある糞、膀胱の中で熟成されたため異常に臭い尿の話を淡々と書き綴っている。

全50回分のエッセイはシロミを中心にしたものというより、ハルノさんがかかわった家猫・外猫ほぼ全員を回ごとの主人公にして描かれている。8年の間に彼女の父親・吉本隆明さんが愛したフランシス子が死に、シロミと仲の良かったクロコが死に、外猫も次々と死んでいった。

それだけではなく、父親・母親も他界し、彼女自身も片方の乳房をがんによって失っている。それらすべての出来事を実に淡々と綴っているのだ。

なぜそれができたのだろう。なぜ彼女は困難な道を自分から選んだのだろう。その答えは猫にあるのではないだろうか。猫たちによって辛いことも起きるけれど生きがいも得ている。猫たちから生き方を学ぶこともできる。

例えば、こんなことを彼女は記している。

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この夏、うちの母が大腿骨を骨折し、人工骨頭を入れるという手術をしました。

元来食欲はないし、生きる意欲が希薄な人でしたが、「生きることに疲れ果てた」だの「痛いから動けない」だのと“人間っぽい”グチを聞いていると、「動物に見習えー!!」と、言いたくなります。(中略)

「歩きたい! 食べたい! 生きたい!」。それだけで、どんな障害をもった動物たちでも、ただ今日を生きのびているのです。
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もしかしたら、生きるのが大変なシロミのような猫たちを飼うことによって、自分も生きる意義を見つけているのではないだろうか。観察対象が人間であれば、その始まりから終わりまでを見届けるのは時間がかかりすぎて難しい。しかし猫であれば寿命は20年弱。野良猫であればその半分生きられるかどうかだ。そうして彼らの生き様を観察することで生や死、生きることへの執着、あるがままを受け入れる大胆さを学べていると感じているのではないだろうか。

そう考えると、彼女が大変だと分かっていてもシロミを飼おうとした理由がなんとなく理解できた。そして、そんな一癖も二癖もある猫たちを愛していける理由も。

中途半場な気持ちではなく、猫を含めた生き物たち、さらには自分の生とも真正面から向き合おう――軽妙な語り口と添えられたイラストで、少し笑って、少し泣いて、それでも最後にはそのような決意を抱かせてくれるほどズシンとくる1冊であった。

文=渡辺まりか