「自分としては、あと3年」 著者が語る『進撃の巨人』のラストとは

マンガ

公開日:2014/9/21

 2009年9月の連載開始から丸5年が経過した『進撃の巨人』。巨人の存在を始めとする世界が秘めた数々の謎や、登場人物たちの過去。積み重ねられてきた数々の伏線が回収されつつあるが、そのすべてがどこへ向かうのか、キャラクターたちはどんな結末を見るのか、読者は焦れながら待ち望んでいることだろう。『ダ・ヴィンチ』10月号の「進撃の巨人」特集では、すべてを知る唯一の男・諫山創が“ラスト”について語っている。

――『進撃の巨人』は韓国、台湾、中国といった国々でも熱狂的に読まれています。日本人だと『進撃の巨人』が地震や自衛隊の暗喩のように読めたりしますが、海外の人はまた別の脅威を連想して読んでいるのかもしれませんね。

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「安全だと思っていた世界が、ある日突然、安全じゃないことに気づくという図式は、いつの時代でもどこの国にもある普遍的な脅威だと思います。以前、香港の新聞社からインタビューを受けたんですけど、香港の方の受け止め方は切実でした。香港がイギリスから返還されて中国政府が入ってくるようになったわけですが、それを巨人に重ね合せているとのことでした。巨人側についてうまく立ち回ろうとする人もいれば、独立を望む人もいる。記者の方は調査兵団に自分を重ね合わせて読んでいるようでしたね」

 人類の希望の象徴であったはずの調査兵団。近刊では彼らが苦境に立たされる新展開を迎えている。諫山は『進撃の巨人』を描くにあたって、駐屯兵団、憲兵団、調査兵団を通して、3タイプの人間像を描いてみたかったという。

「昔からカテゴライズして物事を見ることが好きでしたね。大好きなRHYMESTERの曲に『プリズナーNo.1,2,3』があるんですけど、3人の囚人の考え方を順に歌っていて、これが駐屯兵、憲兵団、調査兵団と同じなんです。もうこの歌で『進撃の巨人』が表されているといっても過言ではないくらいです。ずる賢く体制を利用しようとする側と反体制側。一番多いのが、どっちつかずの日和見主義者ですよね」

 映画鑑賞においても、ヒーロー以上に日和見主義的キャラを興味深く感じるそうだ。ある種の人間くささに惹かれるということだろうか。3年ほど前にインタビューをした際、諫山は「壁の外に出たい」と望むエレンに感情移入しきれないものがあると話していた。今はどうだろう?

「最初の頃は、ちょっと記号的な主人公だったかな……と頭を悩ませた時期もあったんですけど、アニメで声優の梶裕貴さんにエレンの声を演じていただいたことで、この感じだな、と思えるようになりました。声に含まれるちょっとした弱さというか、無理して強がっているニュアンスが演技の中に込められていて、勇ましいんだけど、実は精いっぱいな感じというか。自分の中にも精いっぱいの虚勢を張っている感じがあって、描いていくうちにエレンへの理解が深くなっていったように思います」

――『進撃の巨人』は、巨人の存在理由に始まり、巨人の正体が実は仲間だったという驚きの展開や、エレンの父が秘密の鍵をにぎるなど、謎が謎を呼び、これほどラストが気になる作品もないわけですが、今はどの辺りまできているんでしょうか?

「折り返している、と思いたいですね。初期の見積もりでは16巻くらいで完結するつもりでしたが、感情の流れを最低限描かなきゃ成立しないだろうっていう気持ちがあって、キャラの数も多いので長くなっています。映画的な考え方で一人ひとりのキャラが最初と最後で変わってなければ意味がないと考えているので、彼らが変わる瞬間を描きたいんです。自分としては、あと3年ぐらい……。早く完結させたいと考えているので、タイトに展開して、どんどん畳んでいきたいとは思っているんですけど……。どうしても“けど”が付いてしまう感じですね。今回はこの辺で」

取材・文=大寺 明/ダ・ヴィンチ10月号「進撃の巨人特集」