「情熱の芽のない場所では生きていけない」 東大卒の彼がプロゲーマーの道を選んだ理由

ビジネス

更新日:2014/9/25

 プロゲーマーという職業がある。文字通り、ゲームをして収入を得る仕事だ。とはいえ、どうしてゲームという“遊び“が職業につながるのか、ピンとこない方がほとんどであろう。

 プロゲーマーの収入源は2つある。まず1つ目が、スポンサーからの固定給を受けて、その企業の製品についてPR活動を行うこと。2つ目が、大会に出場して賞金を獲得すること。いわば、個人で活動するスポーツ選手に近い職業なのだ。

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 現在、日本には4人のプロゲーマーがいる。『東大卒プロゲーマー』(PHP研究所)の著者・ときども、その1人だ。1985年生まれの彼は、東京大学理科一類という、日本の大学では最高峰の卒業生。本書では、彼が何度も浴びせられた「東大出身なのに、なんでまたプロゲーマー?」という質問に応える形で、自身が10~20代で歩んできた道を素直に綴っている。

 ときどがプレイするのは、通称“格ゲー”(『ストリートファイター』『ザ・キング・オブ・ファイターズ』など、1対1の格闘ゲーム)である。小学生の時からプレイを始めた彼は、中学、高校、浪人時代と、ゲームをやっているか勉強をしているかという生活を送り、その2つ以外にやりたいことはなかったそうだ。

 その後、彼は一浪の末、東大に入学。バイオマテリアルの研究に打ち込むことになる。彼は当時を振り返り、ゲームをプレイしてきたことによって培われた合理的な問題解決方法が、受験勉強と大学での研究に生かされたことを実感したと話している。同時に、「世間では、ただの遊びだ、役立たずだ、と色眼鏡で見られることも多いゲーム」という認識を理解しつつ、ゲームへの感謝の気持ちが芽生え始めたというのだ。

 そして、彼はこの時期もうひとつ大事な気づきを得る。それは「情熱の価値」。ゲームにしても研究にしても、「成果を出すには本気でとことんやらなければだめ」で、その成果が出せる人間にあるものは“情熱”。どうしてもやりたい、好きで好きでたまらないという心の奥からほとばしるエネルギーなのだ、と。

 就職の際、「プロゲーマー」を選んだのも、もちろん“情熱”あってのこと。しかし、進路を決めるにあたり、彼は悩み、10人以上に相談をしたという。自身の中にも「プロゲーマーなんて非現実的だ」という思いがあり、公務員試験まで受けた。そんな中、「好きにやれ」との父親の一言で、気持ちは固まった。いわく、「情熱に浮かされ生を燃やす快感を知った僕は、もう情熱の芽のない場所では生きていけないのだ」。

「稼げる仕事。安定している仕事。華のある仕事。就きたい職業、就職したい企業のランキング上位には、そんな魅力的な“イメージ”の職や企業が連なる。しかし、実際に自分でその仕事に取り組んで、“イメージ”どおりの姿にもっていくためには、結局のところ、情熱というものが必要不可欠なのではないだろうかと僕は思う」 

 そう、彼は自分の“情熱”に従って、プロのゲーマーになったのだ。軸が定まった彼に、もう迷いはなかった。

 「プロはみな例外なく、自分が生きてきた業界のために力を尽くしたいと思っている。そして、どんな貢献があり得るのか常に模索している」と、高い意識を表明するときどは、「情熱は論理に勝る」というほど“情熱”に重きを置く。そうは言っても、日々やっていることは、1日8時間以上のゲームのトレーニングであり、対戦相手の研究、戦略を練ること、試合の反省と考察、など地道な努力である。“情熱”によって、日々の研鑽が支えられているわけだ。

 特に、試合で負けたときの自己分析は、冷静かつ熱い。例えば、「(自分は)勝っているかぎり自分のやり方に固執する。 (中略) 生き残り勝ち続けるためには、僕のスタイルを変えなければならない」「事前準備は僕のほうが上だったかもしれない。でも、本番が始まってからのわずかな時間を準備にあてることにおいて、僕は彼(対戦相手)に負けたのだった」 といったように。さらに、負けた相手のもとへ意見を聞きにいったこともあるという。

 ただ自由に型破りなことをするというのではなく、自分の軸をどこに置くか。「ゲームも東大も、自分とは関係ないし…」と思っている方も、思わず目を留める名言が詰まった1冊だ。

文=奥みんす