出世には“性”も必要!? ヒトラー、スターリン、毛沢東に学ぶ“悪の出世学”

ビジネス

公開日:2014/10/4

 人はどうやったら出世し、組織のトップになれるのか。多くのサラリーマンにとって出世は“人生の目標”ともいえるものだ。その指南のため、多くのビジネス書が刊行されているわけだが、しかし出世を目指したのは何もサラリーマンばかりではない。歴史的に恐怖政治を行い、残虐行為の限りを尽くした多くの独裁者もまた、壮絶な出世競争を勝ち抜いた人物たちだった。

 スターリン、ヒトラー、毛沢東――これら歴史的人物たち伝記・評伝は数多く刊行されているが、『悪の出世学 ヒトラー・スターリン・毛沢東』(中川右介/幻冬舎)では、彼らを“出世”という観点に綴った点で異色といえる。

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 世襲でもなく末端から這い上がってきたこれら独裁者たちには共通項がある。謀略と陰謀、狡猾さ、そして残虐さだ。 だがもうひとつ興味深いことがある。それが“出世と女の力学”である。三者の中でもっとも“お盛ん”であり、出世や権力闘争に女性が絡んでいたのはなんといっても毛沢東だった。

 まず最初の結婚は14歳の時。羅一秀という年長の女性と最初の結婚をするが、3年後に妻は病死してしまう。毛は後にこの結婚を「これは父に強制された結婚」で「この最初の結婚は自分の意志ではなかったとして、結婚歴として認めていない」らしい。

 さらに26歳の時、毛は北京に行くのだが、そこで恩師である大学教授・楊昌済の家に居候する。その時に恩師の、開慧と親しくなり結婚。農村出身の毛は「中国の知識階級で著名だった人物の娘と結婚」というステイタス、そして後ろ盾を得るのだ。最初の結婚を毛が認めなかったのは、年上の市井の娘との結婚歴を毛が「何の価値もない」と考えていた結果だったのだろう。

 楊開慧は「私生活でのパートナーとしてだけでなく毛沢東の革命の同志ともなり、共に戦っていた」。そして楊は2人の子供をもうけたが、夫と離れ地下活動に従事するようになる。

 妻と離れた毛はしかし「女なしでは生きていけない」男だった。楊開慧と結婚していたにもかかわらず、賀子珍という19歳の活動家と結婚する。毛はこの時35歳だった。

「この時期の毛沢東には、中国の著名知識人であった“楊昌済の娘の夫”という地位はもはや不要だった。一緒に暮らしているわけでもない名ばかりの夫婦であり、妻への義理立てよりも、性欲を満たすほうを優先」させたのだ。

 一方地下活動を続ける楊開慧は国民党に逮捕され「毛沢東との離婚と非難声明を出せば助けてやる」との取引きを持ちかけられたが、これを拒絶し、銃殺されてしまう。若い女と重婚された不貞の夫を、妻は最後まで庇ったのだ。

 だがそんな妻を尻目に毛はまだまだ懲りなかったらしい。16歳年下の賀子珍という妻がいながら、女優の江青と知り合うと不倫に落ち、妻を捨てて結婚する。彼女こそ「毛沢東の妻」の座を最大限利用し、文化大革命を推進し中国政治を大混乱に陥らせた女性だった。

 もちろん正式な結婚以外にも、毛は多くの女性と関係を持ったといわれる。まさに権力と「英雄色を好む」の典型だ。

 だが、本書の出世という観点で、著者はこんな興味深い分析をしている。

「(毛の女性関係が)出世レースと権力維持闘争においてマイナスに響かなかったのは、自分が色を好むことをあまりに堂々と周囲に公言し、女性関係を隠さなかったからだ。むしろ側近が世間体を気にして、毛沢東の乱脈な女性関係を隠してくれるよう」になったという点だ。

「女好きならば、派手な女遊びは隠さず、堂々と」

 なんとも羨ましい教訓を残した毛沢東である。

 毛だけでなくスターリンも2度の結婚だけでなく、それ以外にも多くの愛人が存在し「酒池肉林の世界を楽しんでいた」という。

 ただ例外なのがヒトラーだ。敗戦が決定的となり一緒に自殺したエヴア・ブラウンとの婚姻関係の他には、女性関係の話はほとんどない。だがそれにも理由があったようだ。

「ヒトラーは戦争中の怪我で生殖機能を失ったとの噂があった」。そのため女性との関係が極端に少なく、一部評伝では同性愛説まで指摘されている。

 出世するためには“性”に対しても積極的に――。そんな“出世”方法を実践してみるのはいかが!?

文=高崎郁夫