【江戸時代のモテ本】在原業平秘伝と称された春画に書かれていたもの

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

私事ながら、さっぱりモテない…。30才にして「草食系男子」と呼ばれて早数年、最近では「逃げちゃダメだ!」と思いつつどれほどアプローチしていても、ことごとくノックアウトされている。世間にいくつもある「モテ本」を試してもダメ。道行くカップルに「クソッ!」と舌打ちしながら落ち込む毎日だったが、衝撃的なタイトルの一冊が目に飛び込んできた。

かの六歌仙として名高い歌人・在原業平秘伝の春画を元にしたという書籍『春画を読む 口説きの四十八手』(白倉敬彦/平凡社)だ。モチーフとなった春画は、江戸初期の浮世絵師・菱川師宣が、延宝八年にまとめたものである。いつの世も男と女の出会いは尽きない。現代の『モテ本』が役に立たないのであれば、先人たちに教えを請わねばならんという衝動に駆られて、思わず手に取ってみた。

advertisement

とはいえ、まず一つ疑問が浮かぶ。そもそもなぜ在原業平なのか…。モチーフである春画は『新撰 好色いと柳』という作品で、当時の人口比も理由となり女性上位の社会だったという江戸の町を舞台にした、いわば「ナンパ術」が綴られたハウツー本だ。そして、同書ではこの春画に対する補足的な説明がなされている。

「なにしろ、かの有名な好色男・在原業平直伝の秘手なるぞと、師宣が宣伝に務めているように、江戸初期のその次代の性風俗と性意識といったものが、如実に描かれていて、貴重な文献資料になっている」

果たして本人の許可を取っていたかどうかは不明だが、現代でいうところの「◯◯先生お墨付き!」のような謳い文句といってよいだろうか。ともあれ、在原業平の名を前面に出したこの春画はどうやら、江戸時代に相次いで発刊された性指南書の先駆けとしての役割も果たしたようだ。

さて、同書の前段で申し訳ないほどのスペースを割いてしまったのだが、やはり、気になるのはその中身だろう。できればスクリーンショットも掲載できればよいのだが、歴史的資料でありながら、春画だけあって表現はやや過激……。そのため、春画と共に紹介された内容のみをいくつか引用する手法で紹介していきたい。

■縁玉章【ゑんのこゝろみ】
「先(まづ)、女の色合(いろあひ)を知るべし。これ第一なり。もつとも、よき男こそ縁(ゑん)ある端(はし)なり。男のよき女には目をとむるごとく、女もまたまたかくのごとし」

同書の第1章「心を見極める」の冒頭に記された一文だ。ここでいう「よき男」と「よき女」はすなわち、美男美女をあらわしているようだ。いったい何を言っているのか、つまり、端的にいえば「美男であれば黙っていてもモテる」ということだ。その逆もまたしかりで、美女も美男を求める。当たり前すぎて出鼻をくじかれる思いだが、いつの世もいわゆるイケメンはモテるということのようだ。

■所知釣物(しょちのつりもの)
「心やすくつらんは、近所の女房なり。女主人の家(うち)より出(いづ)るをよく見て、見つけられぬやうに脇へ隠れ、扨(さて)あとよりつけ行。近く寄りて物いはん。そなたは何処(いずく)へと聞(きく)べし」

ここでいう「釣物」とはどうやら、いわゆる「ナンパ」を意味しているという。よくよく内容を見てみると、ある意味衝撃的で、つまりは他人の嫁と不倫をするにはどうすべきかを指南している。隣近所の主人が家を出るのを見計らい、何食わぬ顔で「どちらへ行かれるんですか?」と声をかけるべし、と。万が一見つかったとき、江戸時代には主人が2人を斬りつける場面もあったらしい。

■あいやどり
「わが近付(ちかづき)なる家の隣に娘などあらば、まづ夫婦をとくと頼むべし。つかませて(金品などを)ならぬといふ事なし。隣づから(隣どうしの関係)なれば娘再ゝ来る也。時に娘と物などいひかけ、大てい向き(関心がある)に見すべし」

どうしてもモテない。それならば、隣近所の娘を口説きなさいという教えである。ただしそのやり方が計算高いというか、つまりは金品などをつかませて、まずその親御さんから根回しをしろということである。江戸時代からもやはり、最終的には「世の中は金に尽きる」ということだったのか。ある意味で荒々しいというか、現代では、ともすれば女性が耐えかねて質問サイトにでも書き込みそうなネタである。

さて、そもそも女性に縁がないことから手にとった1冊だが、参考になったかどうか、個人的にはモヤモヤしたものが残っている。とはいえ、いつの時代も男女のあいだに悩みは尽きない。この春画が江戸時代に発刊されていたということは、時代を超えてモテるヤツとモテないヤツはいたというわけで、何だかちょっとホッとした。

文=カネコシュウヘイ