なぜ縄文時代を選んだのか? 第5回山田風太郎賞受賞 荻原浩受賞コメント

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

第5回山田風太郎賞の選考会が2014年10月27日(月)午後4時より東京會舘にて行われ、荻原浩『二千七百の夏と冬』(双葉社)が受賞作に決定した。

受賞作『二千七百の夏と冬』は縄文・弥生時代を舞台にした縄文ファンタジー。ダム建設工事の掘削作業中に、縄文人男性と弥生人女性の人骨が同時に発見された。2体は手を重ね、顔を向け合った姿であった。3千年近く前、この二人にいったいどんなドラマがあったのか? 新聞記者の佐藤香椰は次第にこの謎にのめりこんでいく――。

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選考委員を代表して選評を述べた筒井康隆氏は、「上下巻の大変な力作。よく調べられた情報がうまくストーリーとマッチしている。この時代をあまり書く人がいないのは古代語を書くのが難しいためだが、古代語に時々振られたルビが現代語になっているのが非常によく効いていて面白い。現代人・古代人のキャラクターいずれについても文句はない。また、(別の選考委員)林 真理子氏も強く推しており、縄文・弥生時代の日常的な描写に大変親近感を覚えたようで、安心して読める作品ではないか」と話した。

荻原氏には、正賞として記念品(名入り万年筆)と副賞 100万円が贈られた。同賞の贈賞式および祝賀会は、2014年11月28日(金)に、いずれも東京會舘にて開催される。

<荻原氏受賞コメント>
―どんな気持ちで発表を待ちましたか? 受賞時のお気持ちは?
文学賞の発表は自己防衛本能が働き、ノミネートされていることを忘れようとしてしまうくらいなので、落ちた時のことしか考えてなくて、編集担当者さんに伝える言い訳の言葉を考えて待っていた。そういう意味では、受賞は予想外だった。

―この作品の着想はいつ頃からあったのですか?
昔から書いてみたかった。6、7年前に、先祖がクロマニヨン人だったと信じている少年が主人公の作品を書いたが(『四度目の氷河期』)、その時から、今回のような作品を書きたいと思っていた。

―なぜ縄文時代を選んだのでしょうか?
時代小説というと、江戸や平安などがある。しかし、自分の知る限り、縄文時代は誰も書いてなかった。その時代にも物語があるはず。人がやってないなら自分が書こうと思った。

―執筆で心がけた点は何ですか?
書いてみるまでわからなかったが、原始的なストレートな人間が書けるんだなと感じた。自分の中では現代の価値観をキャラクターに押し付けないようにし、“小学5年生の感覚を持った人が大人になってコミュニティを形成している”というイメージで書いた。しかし、現代と全然変わってない部分もあると思ったものはそのまま書いた。今回は言葉をひねくり回さず、シンプルな言葉の表現を心がけ、小学生が使うような言葉で書くことで、飾らない人間の姿が見えるのでは、と思った。ただ、でたらめに想像だけで書いてるわけではなく、例えば動物の名前はその鳴き声から名前ができているなど、資料や文献をあたって描くようにした。

―審査員・筒井氏から非常によく調べられた作品との評があったが、縄文ファンタジーにした理由は何だったのでしょう?
縄文時代は情報が少ない。得られる情報でファンタジーに見せかけた自分なりの時代小説を目指した。縄文時代と弥生時代のせめぎ合い、その端境期について自分でも先入観があった。きちんと調べると、縄文時代は狩猟民族だから紛争があり、弥生時代は農耕民族だから平和、ではなく、狩猟時代から農耕時代になってから争いが起きはじめた。これは書くべきことだと思った。

―次回作の構想はありますか?
縄文時代は自分の中では書き切ったので、次は別のものを書いていきたい。どんなジャンルであれ、常に面白いものを書こうと思っているが、その中にも、何かチクッと一刺しとかお土産が入っていることを心がけている。何かを啓蒙しようということではなく、何かメッセージを持ったもの。そのメッセージを送りたいから書いている。

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