大災害、格差拡大…現代の預言書か? マンガ『光る風』の慧眼に震える!

マンガ

更新日:2014/11/19

 「全体主義」という言葉をご存知だろうか。『大辞林』によると、その意味は「個人は全体を構成する部分であるとし、個人の一切の活動は、全体の成長・発展のために行われなければならないという思想または体制。国家・民族を優先し、個人の自由・権利は無視される」とある。これが「全体主義国家」になると、ファシズムという言葉を生み出したイタリアのファシスト党や、ドイツのナチスなどによる政治体制国家を指す言葉になる。排外的な政治理念と国粋主義、自由主義の否定、一党による独裁や専制主義、指導者に対する絶対服従、侵略政策、反対者の弾圧…人間がこうした大きな力にいったん飲み込まれてしまうと、思考するのを止め、大きな力の一部となってしまうのは、歴史が証明している。

 もし日本がそんな国になったとしたら…1970年に『少年マガジン』に連載され、様々な反響を呼んだものの、打ち切りになったという『光る風』(山上たつひこ/小学館クリエイティブ)は、そんなディストピア的世界観を描いたマンガだ。作者は1974年から『少年チャンピオン』で連載された、小学生ながら警察官である「こまわり君」が主人公のギャグマンガ『がきデカ』で人気となり、現在は小説家・山上龍彦としても活躍する山上たつひこ氏だ。しかし『光る風』には、こまわり君が振り向いて指差すポーズから繰り出される「死刑!」や、「あふりか象が好き!」「八丈島のきょん!」といったシュールで下ネタ満載のギャグや、尻から物を食べたり、ペニスでボールを割ったりするアホな描写は一切ない。あるのは気持ち悪いほどのリアリティと、未来を見通していたかのような慧眼だ。

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 『光る風』の舞台は、軍事国家化が進み、政府が強大な権力を持つ1970年代以降の日本。防衛庁は国防省となって国防隊が発足し、政府は「国連軍への参加は憲法には違反せず、国防隊法の一部改正で可能である」として某国と安全保障条約を締結、その某国の戦争へ日本の若者たちが出兵していく。全体主義が推進され、政治的結社や集会、デモは禁止、反対する者たちは容赦なく国家権力によって抹殺される。

 ある問題を起こした教師に、校長はこう言い放つ。「われわれはただ…お国の…この日本国のため ただ黙々とはたらきつづけるそんな若者を…そだてあげる! ただそれのみをしておればいいのだ」

 そして国家権力によって殺された息子の母親が訴えようとすると、周りの人は「よしなさい…むだなことだ わたしたちのようなちっぽけな虫けらが巨大な権力にはむかったところで…なにができる…ふみにじられ ずたずたにひきさかれて ほうりだされるのがおちだ!」と諦めの言葉を口にする。そこには思考を停止した人々の間に蔓延する閉塞感しかない。

 主人公の青年は真実を知ろうと行動するが、過酷な運命を辿ることになる。やがて日本のシビリアンコントロールは崩壊、軍需産業が台頭していく。そして物語の最後で起こることは、数年前の大災害を思い出す人が多いことだろう。軍国主義の台頭、差別と格差の広がり、過去にとらわれた狂信的な人々、自然災害、新たな病原菌による奇病の発生とその隔離、人を介しない機械による戦争など、現代の日本を、そして世界を予言していたかのようなショッキングさだ。もちろん今から40年以上前の作品なので絵柄は古いし、1970年当時の知識がないと理解できない部分もあるかもしれない。しかし一度手にしたら、そんな細かいことにとらわれず読み進められる、というより強烈に引き込まれることになるだろう。

 本書は「過去、現在、未来―― この言葉はおもしろい どのように並べかえても その意味合いは 少しもかわることがないのだ」という書き出しから始まる。その意味は、読む人が考えて欲しい。歴史というのは地層のように重なり、連綿と続いていくものだ。しかしその関係性が突然断絶し、全く意図していなかった過去や未来へつながってしまうこともある。物事が悪い方へ行かないためには、人は考えることをやめてはいけないのだ。『光る風』との出会いは、未来を考えるきっかけを与えてくれることとなるだろう。

文=成田全(ナリタタモツ)