雌ガールとか、オトナ女子とか、貴様ヘンな日本語使ってんじゃねぇぞ問題に迫る

社会

公開日:2014/12/9

   

 ちっ、「雌ガール」ってなんだよ。

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 夜中にフェイスブックを閲覧していたら、突如目に飛び込んできた完全なる重複表現のキャッチコピー。あまりの衝撃に、キーボードを打つ手が震えた。え、これ赤字入れずに出しちゃったの? むしろ誤植と言ってくれ!

 そういえば、近頃さっぱり女性誌を買わなくなった。というのも、日本語表現の乱れが、加齢肌の劣化によるブラずれ以上に酷いからだ。とはいえ、「女子会」という言葉が使われだした2010年頃は、自分も物珍しさで使っていた。「アラサー女子の本音コラム」なんてキャッチコピーで連載コラムも書いていたが、最近あまりにも「女子」や「ガール」が増殖しすぎて、かなり食傷気味なのである。

 そもそも、「オトナ女子」とか、「アラフォー女子」とか、閉経のほうがよほど近い中年女に、なぜ「いつまでも処女」のラベルを貼りたがる? 女性誌に掲載される「女子会」の様子たるや、まるでイソップ童話の“虚飾で彩られたカラス”の集いだ。肉付きがよくなった腹回りと、重力に連敗中のバストラインを必死に隠そうと、皆が皆、黒子のごとく黒いドレスで身を固め、「若い子になんて負けないんだからね!」といわんばかりに上目遣いで写真に映っている。そのままでは肌がくすんで見えてしまうため、デコネイルに、きらびやかな貴金属に、瞼を開けるのも難儀そうな付けまつげ…ラーメンで比喩するなら「ニンニク背油マシマシ」のオンパレードだ。

 調子に乗って「女子、女子」連呼していた私も悪いんだけどさ、いい加減カボチャの馬車から降ろしてよ、もう、これ腐ってるよ。そんな「女子&ガール辟易シンドローム」に陥っていた矢先、我らがジェーン・スー様がとっておきの新刊を出して下さった。その名も『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎)。「貴様」と「女子」を掛け合わせた、このタイトルの破壊力たるやすごい。

 この「女子」と呼ばれる/呼ばれたい問題に対して、聡明なジェーン・スー様は、まるで鋭利なジャックナイフのごとく、バッサバッサと切り込んでいく。

“実は、女子女子言ってる女たちも、自分がもう女子という年齢ではないことを自覚しております。それでも「自称女子」が跋扈するのは、「女子」という言葉が年齢でなく女子魂を象徴しているからです。スピリッツの話をしている当事者と、肉体や年齢とメンタリティをセットにして考えている部外者。両者の間には乖離があります”

“三十路を過ぎた女たちの「自称女子」が感じさせる図々しさ、そして周囲の人間がそれを不意に受け取った時のドキッとする感じや不快感、これって刺青にたとえられると思います。私たちは「女子」という墨を体に入れている。自ら彫った記憶はないけれど、気づいたら彫られていた「女子」の文字”。

 なぜ、女子と呼ばれることに、いつぞやから猛烈な反発心を抱くようになったのか。それは「かわいい」と安易に呼ばれることへの嫌悪感に近いのかもしれない。幼少時から「かわいい、かわいい」と言われながら、すくすくと育った「女子」と、何をやっても「かわいげがない」と言われて育った「女子」の間では、明らかに「かわいい」や「女子」という言葉に対する耐性や適応能力が違うのである。

“可愛らしさを通行手形にして人生関所をらくらく通過する女たちを横目に、可愛らしさとは無縁の女たちも、人間軸での通行手形を手に人生関所を悪戦苦闘して通過します。彼女たちは自力で難関を突破する度人間としての自身を付け、女の可愛らしさなど、弱者のレッテルと同義に思うようになる”

“そうやって大人になった女へ、他者から唐突に投げかけられる「かわいいね」の一言。可愛いと縁を切り人間軸で頑張ったのに、今度は可愛いと言われると馬鹿にされたような気になる”

―ああ、まさにこれだよ。

 思えば幼少期、「なんで、この子はこんなにピンクが似合わないのだろう」という親の言葉に傷ついた。「君はひとりでも十分生きていけるでしょ。でも、彼女は僕がいないと無理なんだ」と言われたこともあった。その度に、泥濘の酷道を走るブルドーザーのごとく、「自腹でピンクくらい、いくらでも買ったるわ」「はい、私はひとりでも十分生きていけますが、お前はどうだ?」と“人生関所”を突破してきた女にとって、「女子」や「かわいい」という言葉をむやみやたらに今更吹き付けられるのは、どこかこれまでの苦闘を軽視されているように感じるのである。

 しかし、もっと前にさかのぼれば、自分だって「かわいい」と呼ばれたい、「女子」扱いされたいと思っていた時期があるはず…。得たくても、得たくても得られなかった、その切なさに胸が締め付けられた遠い日を思い、「雌ガール」やら「オトナ女子」やらと書かれた女性誌片手に祈祷でもしたら、歪んだ心も少しは真っ直ぐ正されるのだろうか。それとも粗塩をかけて燃やそうか。

文=山葵夕子