思わず「うまい!」と唸らせる日本の作家の名表現、集めました

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

メールやLINE、ブログやFacebook、Twitterなど、ネットの発達によって以前より文章を書く機会が飛躍的に増えた昨今、書きたいと思ったことを上手く文章化できず、もやもやした経験がある人は多いことと思う。そんなときにちょっと開いてみてほしいのが、夏目漱石や太宰治といった文豪から、村上春樹、山田詠美、柳美里など現代の作家まで総勢98人による212編の作品から名表現を集め、そのどこが優れているのかを解説した『日本の作家 名表現辞典』(中村明:著、塩井浩平:イラスト/岩波書店)だ。

「名表現」「名文」というと、昔の小説家志望者が「小説の神様」と崇め、こぞってお手本にしたという志賀直哉の『城の崎にて』を思い起こす。この作品は大正6年に『白樺』に書かれたもので、山手線に跳ね飛ばされて重傷を負った筆者(!)が、静養のため兵庫県の城崎温泉を訪れ、そこで様々な生き物を見つめ、生死について考える短編小説だ。しかし中村氏は本書で『城の崎にて』を「文章の技術的側面にいささか気になる点もないではない」「むしろ素人の書き方を連想させる外見を呈しているところもある」と指摘している。

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むむむ、じゃあ名表現ではないのか…と思っていると、「この文章がまぎれもない名文として不動の地位を占めてきたのは、ものごとをきちんと自分の感覚でとらえ、対象の奥に息づく生きものの哀しみを、ごく自然な感情のうちに正確にくみとった表現の深さのせいであったろう」と語り、様々な生き物の生死を冷徹なまでの観察眼によって描いた上で、自身の内面を告白していると語っている。物事をありのままに描写するというのは、なかなかできそうでできないことなのだ。

ちなみに『城の崎にて』が名文となったのは、谷崎潤一郎が『文章読本』で取り上げたことによるものだ。その谷崎は『文章読本』の中で「言語は思想を伝達する機関であると同時に、思想にひとつの形態を与える、纏まりをつける、と云う働き」を持っているが「言語は万能なものではないこと、その働きは不自由であり、時には有害なものであることを、忘れてはならないのであります」と書いている。そして志賀の文章が簡潔であるのに対し、谷崎が長文であることなどは『日本の作家 名表現辞典』で丁寧に解説されている。

また、表現を生み出すのも作家である。例えば「夜の底」という表現は、芥川龍之介が『羅生門』で「またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた」と使ったもので、「底」には立体的な縦の関係の深みをイメージさせ、闇の厚みを抽象化した表現であると中村氏は解説している。その後、川端康成も『雪国』の書き出しで「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」という表現で使っているが、芥川の「闇の厚み」から一歩踏み込んだイメージの描写であることに気付かされる。

名表現といわれる『雪国』の書き出しだが、この作品はもともと『夕景色の鏡』という短編として発表されたもので、「濡れた髪を指でさわった」という官能的な始まり方だったそうだ。また有名な書き出しに相当する部分も「国境のトンネルを抜けると、窓の外の夜の底が白くなった」となっていて、それを2つに分けて直し、書き出しにしたものが決定稿であると本書で解説している。ノーベル文学賞を受賞した川端でさえ、何度も書き直しているのだ。

本書は各作家別に名表現を引用して解説しているのだが、最初から順に読むだけではなく、このようにあちこちに飛びながら読むとより楽しめる作りになっていて、新たな物語と出会える秀逸なブックガイドとしても機能してくれる。どのような思いで書かれたのか、そこではどんな表現を使って読み手の注意を惹いているのか、そういったことを考えながら精読し、文章を書く際の手本…とまで行かなくとも、傍らに置いて楽しんでもらいたい一冊である。

文=成田全(ナリタタモツ)