『埼玉化する日本』を、埼玉県民が読んでみた

社会

更新日:2014/12/25

 埼玉は「ダサい」と言われ続けてもう30年以上経つ。最初に「ダ埼玉」と言われたのは1980年代初頭、言い始めたのはタモリだ。その呼称はすっかり定着したものになり、もうここまでくると、そのくらいじゃビクともしないようになった。

 また「埼玉には何もない」とよく言われるが、近年では秩父や長瀞への観光や、折からの古墳ブームで、日本最古の鉄剣が出土し埼玉県の名前の由来となった「さきたま古墳群」などが注目を集めている。また『クレヨンしんちゃん』『となりのトトロ』『らき☆すた』『のぼうの城』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『ほしのこえ』などの作品でも埼玉が舞台になるなど、知らない人からしたら知らないのかもしれないが、それはアピール下手な埼玉独特の「埼玉には何もないという自虐」が原因だと思う。

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 そんなときに見つけたのが『埼玉化する日本』(中沢明子/イースト・プレス)だ。「埼玉化」とは何かと興味を持って読んでみたところ、普段のマス消費については埼玉で、高感度消費をするときはすぐ隣りの東京にも行きやすい便利な場所、それが未来の消費の形である、という内容だった。言いたいことはなんとなくわかったが、「埼玉化する日本」という仮説は、埼玉で生まれ育った者としては少々ピント外れのように感じた。

 著者の中沢明子氏は1969年に東京で生まれ、1970~90年代の大量消費時代を全身で体感した後、2006年頃に埼玉の「イオンモール与野」(当時はイオン与野ショッピングセンター)を初めて訪れ、「なにこれ! 超楽しい! 意外といろいろ揃っているし、気取っていないし、なんだか、ちょうどいい。いいなあ、埼玉にはこんな場所があって」(本書より)と感じ、東京から埼玉の川口に移住、後に浦和へ引っ越して、現在も埼玉在住だそうだ。

 この埼玉化、主に書かれているのはJR埼京線やJR京浜東北線沿線の川口、大宮、浦和、川越についてで、それ以外は東京都下から埼玉県を横断して千葉県と東京駅を結ぶJR武蔵野線沿線にある「イオンレイクタウン」「ららぽーと新三郷」「イオンモール浦和美園」といったショッピングモールや大宮駅構内にある「エキュート大宮」、また埼玉発祥の「ファッションセンターしまむら」「焼肉レストラン安楽亭」「ジュエリーツツミ」といった企業などで、これらが日本へ広まっていること=埼玉化であるといっている。

 さらに本書では「埼玉の飛び地」として東京都豊島区池袋を紹介し、この地が近年人気を集めていることも「埼玉化」だと指摘しているが、もともと池袋へ直接流入していたメインの層は西武池袋線と東武東上線ユーザーである川越や所沢、三島由紀夫が『美しい星』で舞台とした飯能周辺などを地元とする荒川西岸の埼玉西部の住民だ。しかも彼らは池袋を「飛び地」などという甘い言い方ではなく「埼玉の植民地」と呼んでいた。また埼玉県民が全員池袋に集まっているかのような記述が見られるが、川越や狭山、所沢周辺の埼玉県民は、西武新宿線によって高田馬場や新宿にも流入している。これら埼玉西部のことについて、本書ではほとんど言及されていない。

 そして大宮や浦和、さらにはその先の熊谷や深谷、久喜などの荒川東岸の埼玉北部や東部の住民が池袋に直接アクセスできるようになったのは、1985年に東京と埼玉を結ぶJR埼京線(当時は国鉄)が開通してからだ。それまでは赤羽駅で国鉄赤羽線へ乗り換えて池袋駅へ行くか、現在と同じようにJR京浜東北線で田端駅、もしくはJR宇都宮線で日暮里駅や上野駅、または東武伊勢崎線で北千住駅にアクセスしていた。こうした地理的な観点からの歴史的背景や、無個性化が進んだ最大の原因と考えられる戦後から増え続ける県外から流入する人口などについてはまったく書かれておらず、しかもつい最近まで埼玉県民が全員ダサかったかのような形容までしている。

 また「山田うどん」「日高屋」「ぎょうざの満洲」「十万石まんじゅう」「彩果の宝石」「ピッツァ&パスタ るーぱん」「赤城乳業」「ヤオコー」「かっぱ寿司」など、埼玉で生まれ、独自に発展しているものについて本書で一切触れていないこと、そして著者以外の埼玉県在住者の意見が特に見当たらないことからもわかるように、結果的に近年埼玉で目立っているものや著者周辺での出来事を「埼玉的なもの」として取り上げているだけでしかない。これをして「埼玉化」というのは、埼玉の持つポテンシャルを見誤っているよそ者の「上から目線」であり「タイトルだけの出落ち」でしかない。さいたま市周辺のみが「埼玉」ではないのだ。

「それでも日本は埼玉化する」と主張するのであれば、埼玉県民としてはさらなる調査をお願いしたいところである。

文=成田全(ナリタタモツ)