身近だから恐ろしい、悪意と犯罪のバタフライ効果

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

イヤミスという言葉もデフレを起こした観があり、人の醜い面を描いたミステリはすべてイヤミスと括られることも少なくない。だが、『5人のジュンコ』(真梨幸子/徳間書店)を読み始めてすぐ、「うわあ、これだよイヤミスって……」と思わず初心(?)に返ってしまった。ヘタレな私は水割りのイヤミスでそれなりに満足していたが、ストレートの効き目はやっぱり違う。

のちに稀代の結婚詐欺事件を起こす佐竹純子のせいで、中学時代に不登校に追い込まれた篠田淳子。佐竹純子が起こした事件を追うルポライタースタッフの田辺絢子。諄子という名の母を持つ資産家の娘、守川美香。同じ社宅の上司夫人にイライラさせられている福留順子。物語はこの5人のジュンコ(うちひとりはジュンコの娘だが)の間を行ったり来たりして進む。

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しょっぱなから、中学時代の佐竹純子がいかにして篠田淳子を取り込み、罠にはめ、クラスから孤立させていったかが語られる。これだけでもイヤなのに、語り手である篠田淳子が、被害者でありながら実に「イヤ」なのだ。篠田淳子が他者を形容するとき、そこにはネガティブな評価しか出てこない。相手がいかに不細工で品がないかを、微に入り細を穿って描写する。だから語り手への感情移入ができない。実はこの手法はすべての登場人物に当てはまるのである。被害者のはずの視点人物が生活への不満や他者の悪口しか言わないというのは、読んでいてなかなか辛い。

ただ、この畳み掛けるようなネガティブな感情のうねりこそが真梨幸子なのだ。虫酸が走るくらいイヤなのに、もう読み続けたくないと思うくらい気分が悪くなるのに、テンポの良さと予想を裏切る展開に、それでも読まされてしまう。そうするうちに、なんだか一周回って笑えてくるのだ。どろどろの悪意で気持ちが荒みきったはずなのに、毒を食らわば皿までみたいな、変なデトックス効果を感じるから不思議である。これが真梨幸子が読まれ続ける理由のひとつだろう。

本書のテーマはバタフライ効果だ。名前が同じというだけの5人の女性。しかもそのうちふたりは他の4人と何の面識もなく、ただ「事件の容疑者と名前が同じ」に過ぎない。守川美香に至っては「母親がジュンコ」というだけだ。彼女たちが巻き込まれる事件も、それぞれ独立したもので直接の関係はまるでない。ない、はずだ。けれど関係ないだけに、その奇妙なつながりは、ともすれば自分にも手を伸ばすかもしれないと思わせる。これはそういう普遍的な悪意の物語でもあるのだ。水割りの悪意に飽きた人は、ぜひご一読を。

文=大矢博子

■『5人のジュンコ』(真梨幸子/徳間書店)