ストレス下で、むしろ脳が活性化! 吉田松陰の驚異的な平常心はサムライ教育の賜物だった!?【大河ドラマ『花燃ゆ』で注目】

暮らし

更新日:2015/1/9

 1月から始まった大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公は、吉田松陰の妹・文(ふみ)。文の人生と幕末の志士たちの活躍を、どのような展開で見せてくれるのか楽しみだ。大河ドラマをより楽しむために、異色の切り口から吉田松陰を取り上げた一冊で、知識を深めてみてはいかがだろうか。

 『逆境をプラスに変える吉田松陰の究極脳』(篠浦伸禎/かざひの文庫)は、脳神経外科医師が吉田松陰の脳の使い方を分析し、現代の私たちに生かせるものはないかを探ったものだ。長州藩に生まれた吉田松陰は、高杉晋作ら多くの志士たちを育て、安政の大獄に連座して29歳の若さで処刑された。このような短い人生にもかかわらず、後世に多くの影響を与えた松陰であるが、どうやら彼は脳の使い方が私たちとは異なるようだ。

advertisement

 普通、私たちの脳は、ストレスを受けると気分が落ち込んだり、パニックになったりする。しかし、松陰の脳は違った。ストレスでダメージを受けるどころか、眠っていた遺伝子にスイッチが入り、脳が活性化されていたのだ。確かに、松陰は、獄中でもめげることなく学び続け、斬首刑が決まっても平常心を失わなかったと伝えられている。

 このような特殊な脳の使い方は、松陰が「公(おおやけ)」のために生きていたからだと著者は分析する。「公」とは、「人のため、世の中のため」ということである。

 現代の多くの人間は、自分の命を生かそうという前提で生きている。著者は、脳の中で自分を守るための機能をもつ部分を「動物脳」と呼んでおり、この「動物脳」が自律神経など生命維持のための基本機能を司るとする。ストレスで動悸がしたり、パニックになったりという状態を作り出すのは、この部分が働くからだ。

 しかし、「公」のためだけに生きていた松陰は、困難な状況にあっても、自身の「動物脳」にストレスを感じなかったらしい。「私」を生かそうとしていないので、「動物脳」が働かないのだ。

 松陰の「私」を生きない脳の使い方は、近代以前の教育、いわば侍を作る教育法によって生まれたという。侍は命を懸けて殿様や将軍に尽くすため、状況に応じて「私」を抑える、つまり「動物脳」の働きを抑えることができなくてはならない。

 松陰は、教育係であった叔父から、「侍とは何か」を体で覚えさせられたという。幼い頃、読書中に体を掻くと、叔父は松陰を叩いて叱った。勉強(読書)は「公」のためにするものであるから、読書中に痒いところをかくというのは「公」よりも自分の欲望を満たす行為になる。すなわち、私利私欲を捨てることを教えるべく、叩かれたというわけだ。

 このように、常に自分を律している脳は、ノルアドレナリン(交感神経を活発にさせる物質)が分泌されて戦闘状態になっている。同時に、オキシトシンという、ストレスを軽減させ人との連帯意識を高めるホルモンが活性化。一方で、時々しか出されないドーパミン(快感を感じる物質)は、頻度に反比例して1回当たりに出る量が多くなる。

 つまり、日常を戦いと認識する侍の教育を受けると、小さな良いことに大きな喜びを感じられ、不安を感じにくい体質になるのだ。実際、こうした教育を受けた人は、日露戦争の際、近代教育を受けた人よりも、ストレスに強かったというエピソードまであるらしい。

 さらに、「公」に生きるためには、仲間と良好な関係を結び、熱心に学ぶ必要がある。著者は「動物脳」に対して、人間が他の動物よりも発達している部分を「人間脳」と呼んでいるが、この「人間脳」は右側が仲間との関係性を築く際に使われ、左側が言語や計算を学ぶ際に使われるという。そして、「人間脳」が活性化すると、「動物脳」を満たすだけでない、よりレベルの高い幸福、つまりは他人の喜びを自分の喜びとする幸福も味わうことができるようになるのだそうだ。

 ストレスに強くあるには、「公」に生きること――。これは、松陰だけでなく同時代を生きる侍たちも身に着けていた価値観である。彼らの脳の動きを知ってから大河ドラマを見ると、自分にはとてもできないと思っていた志士たちの行動に、共感できる部分が見えてくるかもしれない。正月料理で「動物脳」を満たしつつ、「人間脳」活性化を目指して大河ドラマを楽しもう!

文=奥みんす