昔は淫乱だった? “処女厨”呆然の「やまとなでしこの性愛史」

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

「やまとなでしこ」というと、どうしても、清らかな乙女というイメージが強い。そして、現代でもそのイメージに影響されて、日本女性に清純さや処女性を求める声は尽きない。しかし、日本の歴史を振り返ると、そんな印象が定着したのは、西欧文化の影響を強く受けた明治期以降であることがわかる。一体、昔の「やまとなでしこ」たちはどのように性と向き合っていたのだろうか。

和田好子著『やまとなでしこの性愛史 古代から近代へ』(ミネルヴァ書房)では、日本女性と性にまつわる驚きの事実を伝えている。たとえば、16世紀の戦国時代にポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは、日本を訪れた経験を元に『日欧文化比較』という本を記している。日本と西欧の文化を比較する中で彼は、当時の日本人の恋愛や結婚についても触れているが、その内容は「やまとなでしこ」のイメージからかけ離れたものだ。ルイス・フロイスによれば、日本の庶民の娘は、何日も家に帰らずに遊び回っている。結婚したとしても、夫の許可なく外出し、祭りの日になると、大酒を飲んで酔っぱらう。妻の力は強く、財産力も妻にある。夫に高利でお金を貸し付けることも少なくはないし、離婚を切り出すのも女からだという。

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西欧人が驚いた日本のこのような文化のルーツは一体どこにあるのだろう。日本の古典文学を紐解くと、かつて、男と女は驚くほど自由に恋をし、セックスをしていたことが様々な作品から分かる。『古事記』に載せられた日本の島々や神を産んだと伝えられるイザナミとイザナギのセックスシーンはあまりにも有名だが、『古事記』には、それ以外にも大胆な記述が見受けられる。たとえば、三輪の大物主神が勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)と結婚した経緯については、「丹塗矢に変身した大物主神が、勢夜陀多良比売が大便している際に彼女の陰部を突いた」ことがきっかけと伝えられている。「わざわざトイレ中を狙わなくても良いだろうし、娘側もまんざらでもない様子というのは悪趣味…」と思うかもしれないが、そんな記述が当たり前のように神々の歴史として伝えられているということは、古代、性の話が世の中的に忌避すべきものではなかったことは伺い知ることができるだろう。

その後、平安時代には、王朝文化が花開いた。この時代といえば、男はあらゆる女性と関係を持って不誠実であり、『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母のように女は自分の元を訪れない男のことをただ嘆くだけだったとの印象を持つ者も多い。『源氏物語』の現代語訳をした作家・谷崎潤一郎ですら、『源氏物語』の主人公でプレイボーイの光源氏のことを不実で軽薄で口ばかり上手く、どうにも好感が持てないと公言している。しかし、それは現代の感覚であり、昔の常識からすれば、このような態度は至極当然であり、女性もいろんな男性との関係を楽しんでいたのだと和田氏はいう。

平安時代は、一夫一婦制でもなければ、夫が妻を養うわけでもなかった。貴族は、妻の実家の財産により夫を後見することになっていたから、男性は女性を大切に扱わなくてはならなかった。経済的基盤を得るために、男は誰もがお世辞タラタラで女に接する。女を見れば、誰でも口説くというのは、一種の礼儀だったし、性行為もお世辞のうち。歌のやりとりをし、女も一応嫌がるフリをするが、結局は、すぐ性的関係を結んでしまう。愛だとか恋だとか彼らがウジウジ悩むのは、実は性的関係を結んでから後の話なのである。この時代、女にとって、処女性や純潔というのは、別段価値がなく、性行為そのものについても、男女ともに別段の道徳的責任はなかったようだ。

しかし、貴族に変わって世の中の中心となった武士が作る社会では家が重視され、結婚は一族を繁栄させるための手段となり、恋愛における自由度が狭まっていくことになる。それでもまだ、ルイス・フロイスの書にあるように庶民には奔放さが残されていたようだが、明治期となると、西洋の倫理観を取り入れたことが家族制度の転換点となり、女は清純さを求められるようになっていった。

「現代の若者の性は乱れている」と騒ぐ者がいるが、世の中の恋愛観や性に対する意識はこのように時代とともに変わっていくものなのである。これからは一体どのように変化していくのだろう。チャラチャラと、気軽にセックスを楽しむ過去の日本に戻りたいとは思わないが…少子化対策の秘策も…実は過去にこそあるのかもしれない。

文=アサトーミナミ