運命に翻弄される男女の悲喜劇を描く 谷崎の『痴人の愛』に挑んだ衝撃作

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/21

残酷な性犯罪者の顔と人も羨む紳士の顔を併せ持つ男と、彼に魅せられた男の異色の恋愛を描いたピカレスク小説『ジェントルマン』。幸せの象徴だった長兄の死によって家族が本物の家族として結ばれていく、喪失と再生の物語『明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち』。この4年ほどの間に出版された山田詠美さんの作品は、従来の大人の恋愛小説や少年少女の青春小説とは異なる、新たな物語世界を構築して注目を集めた。

そして今回、約2年ぶりの新作長編で挑戦したのは、谷崎潤一郎『痴人の愛』の山田詠美版『賢者の愛』。偶然にも今年、詠美さんは作家生活30周年、谷崎は没後50年にあたり、その記念作品としても話題性十分の一冊だ。

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「谷崎の信奉者である河野多惠子先生と電話でおしゃべりしていたとき、『痴人の愛』に出てくるフレーズってたまらなく変なのに、どうしてこんなに魅力的なんでしょうね?という話になったことがあって。多分それが頭に残っていたと思うんですけど、女が男を調教していく話をどういうアプローチで書こうか考えていたとき、谷崎がぱっと頭に浮かんだんです。それで彼の作品のなかでも一番変な人たちが出てくる『痴人の愛』を下敷きにして、私だったらこう書いてみせる!と谷崎にケンカを売るつもりで書きました(笑)」

タイトルを見ただけで、その意図に気づく人もいるだろう。「痴人」ではなく「賢者」とは。「『賢者の愛』というタイトルが決まって、すべてが動き出しました。痴人というのはひとりの小説家の見方で、別の人から見たら賢者かもしれないし、逆に賢者と思われている人が痴人かもしれない。そんな表裏一体の部分がある痴人と賢者を、一般的なイメージとは違う、私の言葉で書いてみたかった」

「痴人」と「賢者」も、「愛」と「憎しみ」も表裏一体

主人公は、編集者の父と医師の母のもとで裕福に暮らしてきた高中真由子。そんな彼女の隣家に成金趣味の家族が引っ越してくるのだが、その長女で二つ年下の百合と、真由子は急速に親しくなる。しかし真由子は中学3年生のとき百合が原因で父を亡くし、21歳のときには幼い頃から好きだった作家・澤村諒一の子どもを妊娠したと百合から告げられる。親友に父と初恋の相手を奪われ、愛と友情が深い憎しみに変わった真由子は、諒一と百合の息子に『痴人の愛』のナオミから「直巳」と命名し、22歳年下の彼を徹底的に調教することで復讐していく。

女性が男性を教育するというモチーフは、これまでの作品にも見られたが、今回はそれを極めるとどうなるか?というところを追究している。『痴人の愛』の譲治はナオミを育てるつもりが逆に翻弄されて「痴人」になったが、直巳は真由子の思い通りに操られて大人になり、「痴人」のものではなく「賢者」のものになっていく。

「私の小説の、世の中の常識から逸脱した女と男の関係性が気にくわないという人は、デビューしたころからずっといます。でも、実際には男女の有り様は何でもあり。よこしまな気持ちで自分たちの秘密の快楽を貪っているとんでもない人たちも、いっぱいいると思う。そこに目をつけるのが小説家の仕事でもあるし、そこを肯定させてしまうのが文章の力でもあると思うんです」

幼少期から成人を経て大人になった後も、直巳を調教して屈服させ続けていく真由子だが、直巳に体を許すのはたった一度だけ。その過程の描き方は、詠美さんの真骨頂と言ってもいいだろう。

「恋愛ってマインドコントロールの一種だと思うのね。そのためには、その場の空気も、肉体も大きな要素だけど、持続させるのに一番重要なのはやはり言葉です」

もうひとつ物語の軸になっているのは、育ちの良さゆえ周囲の羨望を買ってしまう真由子と、成り上がりの荒んだ家庭に育ち、真由子に憧れ、嫉妬し、幸せを横取りしようとする百合の、切っても切れない複雑な関係性だ。真由子は百合を「ちょうだいお化け」と恐れながら、百合から離れて生きることはできない。

「ありきたりの言葉では語れない部分で結びついている人間と人間は、なぜそれほど惹かれ合うのか?ということを、言葉を尽くして表してみたかったんです。私は昔から、男同士でも女同士でも、恋愛とは似ているようで違う、離れがたい縁みたいなものに目を留めてきていて。人を憎むことと愛することは裏腹だと思って書くことが多かった。今回はあえてそこを前面に出して、“やっぱりこの人たち変じゃない?”って。愛と憎しみが交差するのを時にエピソードを積み重ねるように時に布を織るかのようにして書きました」

運命に翻弄される人生のどうしようもなさ

作者特有の鋭敏な人間観察眼と美しい文体によって、男女4人の泥沼の愛憎劇が、三人称で冷静に綴られていく(真由子と百合の間に立つ諒一も、一筋縄ではいかない人物なのだ!)。直接的なアフォリズムよりも、研ぎ澄まされた人物描写や情景描写にメッセージ性を感じる場面が少なくない。

「そう? この物語の視点は市原悦子的で、『まんが日本昔ばなし』でもあり、『家政婦は見た!』でもあるよね。第三者の視点で語られていくスタイルは成り行きでそうなったんだけど、光のプリズムみたいに、その人が見る角度によって違った色が見えるようなことも意識しました」

真由子が父と同じく編集者になり、父が作家に育て上げた諒一を引き継いで担当することも、言葉を尽くして描かれる愛憎劇のなかで大きな意味を持つ。真由子の人生をスライスするように、時系列を行きつ戻りつ描かれるさまざまなシーンを読み進めるとき、読者の脳裏に浮かぶのは、「いつのまにか、喜劇と悲劇の境目が解らなくなってしまいましたね」という作中の一文だろう。読み手もどちらがどちらかわからなくなるうちに、世の不条理や理不尽を目の当たりにすることになる。

「自分では悲劇のヒロインのつもりが実は喜劇のヒロインになっていたり、自分が意図していることとは関係ない偶然や運命がその人の人生を演出してしまう。そういう渦中に図らずも陥ってしまうことって誰にでもある。そんなさなかに悲劇と喜劇が反転していく様を書きたかったの。その視点や描き方に、小説家の特性や価値観が出ると思うのね」

真由子は復讐を果たせるのか? 百合の真由子に対する執着が招く結末とは? 彼女たちが迎える凄まじいラストの受け取り方は、おそらく人それぞれ違うだろう。

「女二人、愛を求めながら失いながら生きてきて流されて行き着いた先がこうだったっていう感じで、結局正解はわからないっていうことじゃないかな。私はこの小説で、運命に翻弄されて人の人生が進んでいってしまう、そのどうにもならなさを描きたかったんです」

本作では、書き方についても新しい試みがあった。詠美さんにとって一番新鮮だったのは、雑誌に連載する前に「きっちり15枚ずつ、後を引くような区切りを付けて、すべて書き終えていたこと」なのだとか。

「書き慣れた部分には使ったことのない、筋肉のトレーニングをしたような感じがしてすごく面白かったです」

常に「今までにやっていないこと」を念頭に置いているという詠美さんに、作家生活30周年の節目を迎えた今の心境についてうかがった。

「私は言葉にならないものを言葉にするためにいかに物語をそこに引き寄せるかということを重要視します。物語に言葉をあてはめていくタイプではないんです。そのスタンスはずっと変わりませんが、やはり長いこと書いてきて、技術力が高まったり考え方が大人になったっていうこともあるんですけど、いろんな意味で緊張を保ちながらも自由に小説世界をものにできるようになったと感じますね。この作品が、またひとつのステップアップになればいいなと思っています」

取材・文=樺山美夏

賢者の愛』(山田詠美/中央公論新社)