理想の働き方? 複数の肩書きと分野を流浪する「コミュニティ難民」とは

社会

公開日:2015/2/16

 自己紹介をする時に、「今従事している職業」はどうしても必須事項となりがちだ。人は「職業」や「コミュニティ」によって、相手の人物像を推し量ろうとする。しかし、本当に活躍している人は「職業」の枠では捉えきれない仕事をしているのではないか? アサダワタル氏の『コミュニティ難民』(木楽舎)では、ひとつの職業の枠に留まらずに活動している人々の存在に触れている。

 ミュージシャン、作家、NPO の理事、まちづくりや障害者福祉に携わり、美術館の懇談会委員であり、ラジオの司会者であり、大学の非常勤講師であり、現役大学院生でもあるアサダワタル氏。彼自身「…アサダさんは“何屋さん”なの?」と問われ、困惑することが少なくなかったという。X足の草鞋を履き、その一つひとつの関連性の重なりの部分から生まれる知恵とスキルを掛け合わせて仕事をしているのだが、なかなか理解されにくい。自分の活動をひとことで語れないということに「生きづらさ」を覚えたのだという。

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 しかし、世の中には、アサダ氏みたいに多分野を超越しながら、既存の肩書きでは語りきれない仕事=表現を続けている人が一定層存在しているのだ。アサダ氏はそんな彼らを「コミュニティ難民」と呼んでいる。「コミュニティ難民」とは、「個人の生産活動において、特定の分野のコミュニティに重点的に属さず、同時に表現手段も拡散させることで、新たな社会と実践的な関わりを生み出す人々」のこと。一定のコミュニティに属さないエネルギッシュな表現者を彼は「コミュニティ難民」と呼ぶのである。

 たとえば、関西在住の藤原明さんはりそな総合研究所に勤める銀行員だが、企業・大学・地域・行政とともに「銀行員」の枠をはるかに超えたさまざまなプロジェクトを展開している。「RESONART」では、大阪の人気ラジオ局・FM802と連携して、りそな銀行のキャッシュカードに描かれているイラストをFM802が発掘した若手アーティストが提供し、3〜4カ月に1度デザインを変えて発行する企画を実施(現在は終了)。銀行×FM局の力で、若手アーティストの活躍の場を提供した。「ニューオリンズ復興支援コンサート」では、カトリーナで被害を受けたニューオリンズへの義援金集めのために、領事館と商工会議所と手を組んで、ジャズライブを開催。1人6000円の寄付で600人、360万円の寄付を送ることに成功した。

 これらのプロジェクトは「りそな=RESONA」と「地域=REGIONAL」を組み合わせ「REENAL(リーナル)」と総称され、2003年にスタートしたものだ。すべての企画の運営の柱を担った藤原氏はこの実績が評価され、現在では、さまざまな地域づくりの事業のアドバイザーやクリエーター志望人材が集まる大学院の客員教授まで務めている。なぜ銀行員がアーティストの支援や地域貢献に乗り出すのかと疑問に思う者も少なくはないだろう。だが、藤原氏は好き勝手に活動をしてきたわけではない。問題意識として、「銀行を変えたい」という思いがあり、銀行営業で培ってきたインタビュー力を武器に活動してきたのだ。藤原氏は「お金を貸すだけでない、さまざまな分野との恊働が実は”金融の本質”」と語っている。彼にとってこれらはCSR活動(企業の社会的責任)ではなく、あくまで銀行員がなすべき”営業活動のど真ん中”なのだという。

 その他にも、アサダ氏は多様に「コミュニティ難民」の例を挙げてみせる。一級建築士であり、ラジオ番組の企画・制作者であり、雑誌編集委員である者。DJであり、イベントプロデューサーであり、旅館当主である者。職業訓練センターの職員であり、アートイベントの主催者であり、コミュニティサロン主宰である者…。彼らは一見関連のないようなあらゆる活動に取り組んでいるが、中心には、確固たる信念がある。

 もちろん、「コミュニティ難民」たちは自分の活動を一言で表すことが困難であるため、時に疎外感を覚えることもある。その疎外感ゆえにアサダ氏は彼らを「難民」と名付けたのかもしれない。しかし、考えてみてほしい。アナタはどのような目標を持って仕事に取り組んでいるだろうか。何気なく日常を過ごしてはいないだろうか。職業の枠に留まらず、自分の目標を満たすそうと活動する「コミュニティ難民」の存在こそが我々の目指すべき一つの姿なのかもしれない。

文=アサトーミナミ