【地方書店の生きる道】北海道砂川・いわた書店の「一万円選書」にかける思い

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公開日:2015/2/19

 出版業界の先行きは暗いといわれる。社会的にも「出版不況」という言葉が当たり前のように聞かれ、統計を見ても、書籍や雑誌の売り上げは年を追うごとに下がるばかりだ。また、書店の数も例外ではなく、アルメディアの調査によれば2014年には1万3,943店、1999年の22,296店と比べれば約37.5%も減少しているそうだ。

 なぜ本が売れないのかという議論は、常に繰り返されているものの答えはまだ見えていない。しかし、どこか漂う悲壮感をかき消すために、本を生業とする人たちが読者とどのように向き合うべきか。その問いかけに一筋の光を導き出した人がいる。各種メディアでも取り上げられた「一万円選書」に取り組む、北海道砂川市の本屋さん、いわた書店の岩田徹さん(62才)である。

 お客さんからのアンケート一つひとつへ目を通して、それぞれのお客さんにふさわしい本を一万円分送り届ける。直近の2015年受け付け分は、日本全国からじつに666人もの人たちから問合せがあったそうだ。「お客さんから頂いたメールには全て自分で目を通します」と語る岩田さんだが、最近読んだ本やよく読む雑誌などを綴ったアンケートを通して、一人ひとりのお客さんと向き合っている。

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 いったいなぜ、岩田さんは「一万円選書」へとたどり着いたのだろうか。そこには書店経営者という立場を通して、読者や本と向き合ってきた、岩田さんならではの思いが隠されていた。

書店経営者としての人生。岩田さんが直面した苦難と下した決断

 1958年の春、岩田さんの父親は炭鉱マンから転身して33才で書店を始めた。北海道砂川市では石炭が主要産業であった時代、仕入れさえすれば本が飛ぶように売れた時代だったという。そして時は過ぎ、岩田さんは父親の跡を継いだ。

 1998年をピークに全国各地の書店の売り上げは減少しはじめ、次第に休廃業に追い込まれる小さな本屋が目立つようになった。ちょうど、規制緩和により相次いで大型ショッピングモールの計画や建設が盛んになり、シャッター商店街が社会問題として取り上げられるようになった時期である。

 いわた書店のある砂川市にも、時代の流れが次第に訪れ始めた。郊外型の大型書店の出店である。店舗の規模も勝てない。駐車場もなく利便性でも勝てない。少ない店員で切り盛りせねばならず、営業時間も長くはできない……。

 また、苦難の先ではさらなる困難も生じた。書店経営のかたわら、町内会や商店会の繋がりにも気を配らなければならなかった。岩田さんいわく「年を食った“若手”」が活躍しなければならない中、岩田さんも無論例外ではなかった。毎晩のように会合へ出かけ、妻子の寝顔のみを確認するような日々が続いた。

 その結果、疲労が積み重なり幾度となく発病と入院を繰り返した。長いときで3ヶ月、もはや心身ともにボロボロの状態だったものの、家族やスタッフに支えられてたび重なる生還を果たした。次第に、周りで支え続けてくれた人たちの幸せを願うようになり、大型店との「量の競争」からきっぱり足を洗う決断を下した。

 初めに取り組んだのは、仕入れの見直しだった。取次との関係ばかり考えていたものを見つめなおして、自分の価値観を信じて「読まれるべき本」「売りたい本」へ意識を向けるようになった。また、書店に置く本の宣伝方法も変えた。ホームページとブログ、地方紙への投稿により、情報発信をより強化した。

 ある時、隣町にあった老舗の書店が閉店したと聞いて、地域の新聞販売店と連携して本の宅配も始めた。いわた書店が発送した納品書付きの商品を、新聞販売店が受け取り、顧客への配達と集金を代行する仕組みだ。いわゆる「友達の輪作戦」と称して、病院内で入院患者の注文を取りまとめてくれる人も現れて、次第に繋がりは広まりはじめた。

 大型系列店がひしめく中で、地域での繋がりを実感するにあたり「必要とされる場所へ本が行き渡っていない」という現実を知った。

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