大河ドラマのあのシーンも…? 江戸時代に「脱藩」なんて言葉はなかった!? 間違いだらけの時代劇

テレビ

更新日:2015/3/25

 ネットやテレビからあふれる情報に翻弄される私たち。日々、その真偽を疑ってみたり、信じてみたり。自分に関わること、興味のあることならばともかく、些末なことまでは疑っていてはキリがない。

 例えば、時代劇。その出来事が史実なのかどうかを疑うことはあるけれど、武士の家の造り、刀をまじえるときの仕草、食事の仕方、町人の話し方、子どもたちの遊びなどなど…いちいち疑ってはいられない。そうした風景を繰り返し画面で見ていたら、むしろそれがその時代のものだと認識してしまっていることも多いのではないだろうか。

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 そんな時代劇に紛れた多々あるウソを、時代考証家の若桜木虔氏が、著書『峰打ちをしたら刀は折れる 時代劇の間違い探し』(若桜木虔、長野峻也/KADOKAWA 中経出版)で斬りまくっている。時代劇映画やテレビドラマ、時代劇小説にある初歩的な間違いや、ネジ曲げられた史実など、プロでも誤っていることを嘆く。

 例えば、現在放送中の大河ドラマ『花燃ゆ』。嘉永5(1852)年に吉田松陰が許可証の発行を待たずに東北を旅したところ、「脱藩」の罪に問われる。家族の元に「寅次郎脱藩一件」と記された書簡が届き、主人公の文をはじめとする松陰の家族は大騒ぎ。登場人物たちは「脱藩」という言葉を何度も口にするが…。

 若桜木氏によると、この時代に「脱藩」という言葉はなかったという。そもそも「藩」の初出は、六代将軍・徳川家宣の侍講として幕政を実質的に主導した新井白石が書き著した家伝・系譜書『藩翰譜』が初めて。そして、一般的に言われるようになったのは明治維新以降の「廃藩置県」のとき。「脱藩」という言葉は明治時代になるまで存在しないのだから言うわけない、「逐電(ちくでん)」「出奔(しゅっぽん)」「欠落(かけおち)」「逃散(ちょうさん)」ならわかる、と氏は主張する。

 では、なぜ私たちは当時使われていなかった言葉を、今使っているのだろうか。例えば、複写機がコピー機と呼ばれ、字引が辞書と呼ばれるようになったように、時が経つにつれて表現が変わっていったのならばわかるが、もう「藩」など存在しないのに。

 若桜木氏は、「新政府のほうが徳川幕府時代よりはるかによい」と庶民に思わせるために、新政府が言葉狩りを含む洗脳教育を徹底して行ったことを指摘。つまり、大名領は各大名が支配するものではなく、天皇の「藩」であると捉え、それに従って、「家臣・家来」は「藩士」、「学問所」を「藩校」と言い換えた。そして、今に至るまで私たちは明治政府にまんまとはめられているというわけだ。

 間違っているのは、言葉だけではない。時代劇では凄腕の刺客が敵をバッタバッタと倒すシーンがよく登場する。降り注ぐ矢を刀で薙ぎ払い、正義の味方であれば敵を殺すことなく峰打ちで倒し…。時代劇の見どころのひとつだ。

 残念ながら、本書のサブタイトルに「峰打ちをしたら刀は折れる」とある通りこれは不可能だという。本書ではその理由を日本刀の制作過程から説明。また、矢の軌道を避けるのならいいが、身体の正面で飛来する矢を斬れば、切断された矢の鏃はそのまま飛んで結局本人に刺さってしまうと論破する。

 さまざまな事実を元にした論理的な説明に納得。でも、あのシーンはやっぱり視聴者を喜ばせるための過剰な演出だったのかとちょっとガッカリ。当時の世相をあるがままに正確に表現しようとすると、なんだか時代劇がおもしろくなくなってしまいそう。実際、お歯黒をつける習慣や裸体に対する考え方など、当時と現代との違いのために、やり過ぎると見苦しいものになってしまうという意見もあるようだ。

 とは言え、時代考証をまったく無視してしまえば、リアリティがなくなってしまう。時代劇のおもしろさのひとつは、ストーリーにのめり込んだ挙句、その時代にタイムスリップしたかのような心地になることだと思う。リアリティを出すために必要な時代考証を行いつつ、わかりやすくおもしろく時代劇を作ってほしい…なんて言ったらワガママ?

文=佐藤来未(Office Ti+)