タミヤ、アオシマ…なぜ静岡はプラモ王国なのか? プラモデルのうんちくを語ろう

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/20

アップル製品の新作が発売日のたびに行列ができ、ニュース番組の時間を無駄食いするようになって久しい。「愚かな人間どもよ」と飯塚昭三さんのナレーションでもかぶせてくれればいいのに、と思いながら、ふと懐かしい思いにかられる。「ガンプラ欲しくて、並んだなぁ」と。
1980年代、長蛇の行列といえば「ガンプラ」だった。日本全国で大ブームを巻き起こした「機動戦士ガンダム」のプラモデルが発売35周年を迎えた。

直撃世代、一年戦争「戦中派」のボクの当時の夢は「バンダイに入社して、プラモデルの企画をする」ことだった。バンダイ本社に工場見学希望の手紙を書いた。返事をもらった記憶があるが、結局、見学には行けなかった。ただ、その工場が「静岡」にあることは知っていた。バンダイだけではなく、タミヤ、アオシマ、ハセガワ、フジミ、イマイ…国内プラモメーカーの大半が静岡にあることも子どもながらに知っていた。でも、なぜ静岡が「模型王国」なんだろう? ていうか、プラモデル発祥の地ってどこ? そんな、プラモデルにまつわる小さな疑問に答えてくれるのが『マンガ うんちくプラモデル』(岡本一広:著、中村公彦:監修/KADOKAWA)だ。
主人公の雲竹雄三(うんちく・ゆうぞう)がどこからともなく現れ、プラモデルのうんちくを語り倒して去って行く愉快なマンガだ。性質上、文字数がやたら多い本書だが、語られている内容はビギナー向けであっさり目。「最近、プラモデルの世界ってどうなってるの?」と思ったあなたにオススメだ。その内容をピックアップして紹介しよう。

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なぜ静岡県は模型王国なのか?

雲竹雄三いわく、その理由は「徳川家にある」。駿河国(今の静岡)には、徳川家とも縁の深い「浅間神社」がある。近世になって、徳川家が造営を行った際、地元をはじめ全国各地から宮大工や彫刻師などが集まった。職人たちは競い合って腕を磨き、多くが定住したことによって、技術が駿河国に継承された。
長い年月を経て、1932年(昭和7年)、今の青島文化教材社の創業者・青嶋次郎氏が伝統木工技法を使って「木製の動力付き模型飛行機」の製造販売を開始した。それを機に、静岡県に多くの木造模型メーカーが生まれた。
1960年代、国産プラモデルの人気が高まると、木製メーカーもプラモデルに参入し、静岡県は「模型王国」となった。今でも、静岡県は国産シェアの約90%を占めるそうだ。

プラモデル発祥の地はどこ?

1936年、世界初のプラモデルは、イギリスのIMA社が発売した1/72スケールの飛行機(フロッグ・ペンギンシリーズ)だ。イギリス軍が、航空機や軍用車両などの識別訓練に用いた模型製造技術を応用して作られたもので、英国機を中心に30点ほどがシリーズとしてキット化された。
国産プラモデル第1号は、1958年12月にマルサン商会から発売された「原子力潜水艦ノーチラス号」や「1/25ダットサン1000」と言われている。また、1956年に大阪の(株)日本プラスチックが「零戦」「P-51Dムスタング」発売の広告を出しており、そちらが国産第1号だという説もある。

といった具合に、ちょっと話を始めるだけで、ディープに長くなってしまううんちくが、本書には満載だ。そして、本書をきっかけに、今日のお昼休み、久々にプラモ話でもしてみませんか? アラフォー世代より上の「元・男の子」たちは、みんなそれぞれのプラモ小知識を持っているはず。
「ガンダムのキットになんでビームサーベルが4本付いてるか知ってる?」「Nゲージのゲージの意味わかる?」「ロボダッチのガンテツって、まんま連邦軍のシールド持ってるけど版権大丈夫?」「デカールって絶対失敗するよな」「プラモのパーツ注文すると、キットよりも高い値段になるよな」「タミヤの1/35兵士改造コンテストに、鳥山明先生が普通に応募してたよなぁ」…etc.

気分が盛り上がったところで、今度の週末、久々にプラモを組んでみませんか? 換気で窓を開けても寒くないし、湿気が少ないから塗料もカブらないし。プラモデルを作るのに、とても良い季節だし、なにより楽しいから!

文=水陶マコト