自称・宇宙人のヘンテコさに笑って泣く ―三島由紀夫が書いたUFO小説のぶっ飛んだ中身とは?

公開日:2015/5/2

美しい星』(三島由紀夫/新潮社)

 三島由紀夫はUFOマニアだった。
 と聞くと、「またまた~」と疑いの目を向ける方がいるかもしれない。しかしこれは冗談でもネタでもなく、れっきとした文学史的事実。戦後を代表する小説家三島由紀夫はある時期、かなりUFOに熱中していて、日本初のUFO研究サークルのメンバーに名を連ねたり、UFO観測会に参加して夜空を見上げたりしていた。

 こうした経験をもとに書かれたのが、三島唯一の長編UFO小説『美しい星』(新潮社)である。

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 『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』といった代表作に比べて、マイナー感の否めない作品だが、それはあくまで一般社会での話。オカルトファンにとっては数ある三島作品中、もっとも興味深い作品といっても過言ではない。ここでは三島文学ファンがまだ気づいていない(かもしれない)、『美しい星』のディープな魅力について、オカルトサイドからじっくり迫ってみたい。

宇宙人一家の凡人らしくない日々

 そもそも『美しい星』とはどんな小説なのだろうか。
 思いっきり乱暴な言い方をしてしまうと、UFOと宇宙人を題材にしたコメディ小説だ。

 物語の主人公は、埼玉県飯能市に住んでいる大杉一家。地元では資産家として知られるこの4人家族、実は全員が宇宙人である。

 ある日、父親の重一郎がUFOを目撃。その瞬間、自分の正体が火星からやってきた火星人であることを思い出す。それから息子の雄一、妻の伊余子、娘の暁子も同じような体験をして、大杉一家はひとつ屋根の下に、火星人(父)と木星人(妻)と水星人(息子)と金星人(娘)が同居するという、なんともミステリアスな事態に陥る。

 この時点ですでに純文学としては破格の展開だが、大杉一家の言動がまたぶっ飛んでいる。

 重一郎は家族に向けて「凡人らしく振舞うんだよ」と忠告する。もし世間に自分たちの正体が知れたら大変なことになるからだ。

 じゃあ、ひっそり大人しく暮らしているのかといえば意外にそうでもなく、世界各国の首脳に向けて戦争を止めるよう手紙を送り続けている。手紙の末尾には、4つの惑星を表わすマークと4人分の宇宙人のサイン。いい大人が仕事もせずに何やってるんだ、という気がしないでもないが(重一郎は無職!)、彼らは真剣そのものだ。

 当然、世界の首脳からリアクションがあるわけはなく、地元の警察から共産主義者じゃないかと疑われてしまう始末。それでも重一郎は「おろかな犬をあやして、芸を仕込むだけの忍耐が要るのだ」と余裕の構えを崩さない。手紙がゴミ箱に直行したかも知れないという可能性にまったく思い至らないあたり、なんともマヌケでおかしいのだ。

自称・宇宙人たちのヘンテコな言動

 長男の一雄は女好きで、次々色んな女の子をひっかけては妹の暁子に叱られているが、その言い訳がふるっている。

「人間の女どもとなると、僕はどうしたって手を出さないわけには行かない。僕の目には、彼女たちはすべて異国的に、ものめずらしく、風情ありげに、それからいかにも原始的でぴちぴちして見えるんだから。角度の問題もあるんだ。人間の男どもは下のほうから女を見るのが好きなんだけど、僕たち天界の人間はどうしても上から覗く傾きがある。そうすると大抵、あの白いふっくらした胸のなだらかな谷間がいやでも目に映る」。

 それを世間では女好きって言うんだよ! と思わず叱ってやりたくなるが、一雄はこれまた真剣そのもの。地球人同様、水星人の男もなかなかしょうもない生き物であることが判明する。

 ほかにも、暁子のペンフレンドが真の宇宙人かどうか一家で議論したり、邪悪な宇宙人3人組(ストーリーの中盤から登場)が地球を破壊するための道具を予算100円でデパートまで買いに出かけたりと、スケールが大きいんだか小さいんだかよく分からない宇宙人たちのヘンテコな言動が次々に描かれ、笑いのツボをぐいぐいっと刺激してくれるのだ。

 これまで『美しい星』は、ドストエフスキーの流れを汲んだ思想小説として、いわばマジメに読まれることが多かった。もちろん、それは間違いではない。しかし、作品のあちこちで自称・宇宙人たちが発散しているヘンテコなオーラを“見なかったこと”にし、マジメ一辺倒で論じていくのはちょっとムリがある。

 どう見てもただの人間でしかない自称・宇宙人たちが、地球の運命をなんとかしようと右往左往するからこそ、この作品は切実かつユーモラス、そして奇妙な感動を呼ぶものになっているのだろう。三島自身、「一種のトラジ・コミックの味」(悲喜劇)を狙った作品だと明言しているので、遠慮なく笑っても構わないはずなのである。

さらにマニアックな楽しみ方も

 さて、冒頭にも書いたように、三島は大のUFOマニアだった。

 1955年に結成された日本最古のUFO研究グループ「日本空飛ぶ円盤研究会」に所属して(しかも会員ナンバーは12番)、自宅の屋上からたびたび「円盤観測」を試みていたほど熱中していたのである。そんな三島のUFO研究の成果が、『美しい星』では存分に生かされている。

 たとえば大杉一家が4人そろって太陽系の惑星出身なのは、ジョージ・アダムスキーの説の影響だろう。異星人にたびたび遭遇したことで知られるアメリカ人アダムスキーは、太陽系のすべての惑星に宇宙人が住んでいると主張していた。新潮文庫版の解説では、この大杉一家の出身星設定について疑問が表明されていたが、「アダムスキーか」と思えばあっさり納得がいくのである。

 また、「日本空飛ぶ円盤研究会」が発行していた機関誌の17号には“自分は金星人である”と主張する人物が登場している。記事によれば、神奈川県在住の音楽家Sさんはある日、自分が金星人であるという記憶を突然取り戻したのだという。その後、神から“地球統帥”の地位を任命されたというとってもアヤシイ話なのだが、大杉家のようなキャラクター設定は当時それなりにリアリティがあったことが分かる。

 作中で重一郎が結成するUFOグループの名は「宇宙友朋協会」。これは日本に実在したアダムスキー派の団体「宇宙友好協会」の名前とそっくりだ。このように、『美しい星』の設定には元ネタらしきものがいくつも存在するので、当時のUFO本を漁って、バックグラウンドを探ってみるのも楽しいだろう。そんな遊びすら可能な本格UFO小説を、ノーベル賞受賞近しとまで言われた文豪が書いていたというのは、本当に驚きである。

わたしたちはなぜオカルトに惹かれるのか?

 『美しい星』は、UFOを見たくてたまらない人たちの物語である。

 その背後にあるのは気高さ、優しさ、醜さ、弱さ、希望、絶望といった様々な人間の心のありようだ。UFOは人の心がぎりぎりまで押しつぶされた瞬間にだけ、どこからか姿を覗かせる。それが夜空にUFOを探しながら、とうとう一度も見ることができなかったUFOマニア三島由紀夫の結論だったのだろう。

 ときにシリアスに、ときにコメディタッチに展開してゆく自称・宇宙人たちの物語は、わたしたちはなぜオカルトに惹かれるのか? という問題を考えるうえでも、ヒントを与えてくれるような気がする。

文=朝宮運河