ただのゴミ? それとも貴重な文化財? 「古い鉄道車両」を残すことの意義と難しさ

社会

公開日:2015/5/20

 またぞろ“世界遺産フィーバー”が訪れるのだろうか。「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産への登録を勧告された。韓国が反対しているなどという問題はさておいて、ここ数年と同様に登録対象である軍艦島や八幡製鉄所、韮山反射炉などには多くの観光客が訪れることだろう。

 ただ、こうした世界遺産をはじめ、国の指定する国宝や重要文化財などに指定されるものばかりが“価値のある文化財”というわけではない。むしろ、こうした文化財指定を受けていないながらも、往年の人々の暮らしや文化、産業を知るきっかけにふさわしいモノはあちらこちらに眠っている。そして、「鉄道文化財」もそんな知られざる文化財のひとつだ。

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 鉄道文化財と言われて、何を思い浮かべるだろうか。以前、とあるムック本の取材で鉄道の橋梁のメンテナンス現場を取材したことがある。その橋梁は、なんと100年以上にわたって大切に使われ続けてきたものだった。リッパな文化財である。また、「駅」も文化財のひとつだろう。ひところ前に話題になった東京駅丸の内駅舎は、重要文化財にも指定されているほどだ。他にも、原宿駅の駅舎だって1924年に竣工した都内最古の木造駅舎。これまたリッパな文化財である。

 と、このように開業以来約140年の歴史を持つ日本の鉄道は、それそのものが文化財の塊と言ってもいいくらいの存在だ。そして、そう簡単に建て替えたり交換したりすることができないため、今も現役として頑張り続けている。
 ただ、そんな数ある鉄道文化財の中にも、“現役”とはなかなかいかないものもある。車両だ。

 『よみがえる鉄道文化財 小さなアクションが守る大きな遺産』(笹田昌宏/交通新聞社)は、特に古い鉄道車両にスポットを当てて、その保存の状況と難しさを教えてくれる。
 長らく福岡県志免町で保存されていた9600形蒸気機関車の例がある。当初、補修と移設を予定していたが、その費用がなんと1309万円。一方、解体費用はわずか300万円。イマドキ地方自治体の財政はとても厳しく、志免町議会がどちらを選んだかは明明白白だ。結局この9600形は運良く受け入れ先が見つかって保存が決まったのだが、こうした例はひとつの奇跡にすぎないという。古く貴重な車両たちの多くが、ひっそりと解体され、姿を消しているのだ。

 また、EF70形という電気機関車を自ら貰い受け、保存のために奔走した筆者のエピソードもおさめられている。当初福井県内の焼肉店に看板代わりとして置かれていたが、焼肉店閉店に伴い解体の危機に瀕した。そこを筆者が受け入れ先を探しだして延命に成功したという。ただ、その受け入れ先も後に倒産してしまい、結局このEF70形電気機関車は解体の憂き目にあっている。

 こうして見てみると、古い車両を残していくことは実に難しい、大変なことだというのがよくわかる。鉄道事業者や全国の自治体、鉄道愛好者たちは古い車両を何とか残そうと四苦八苦しているが、保存には多くの資金が必要なこともあって思うようにはいかないようだ。中には3000円で販売されていた中古コンテナが、まわりまわって鉄道博物館に展示された……なんていう素敵なエピソードもある。ただ、これは単にいい話というわけではなく、数が少なく貴重なコンテナが3000円ぽっちという時点で、その文化財としての価値がなかなか見出されていないという現実もそこからは見えてくる。

 だが、一方でこのコンテナを3000円で売った人のことをむやみに責めることもできまい。何しろ、興味がない人にとってはコンテナも鉄道車両も“タダの巨大なゴミ”だから。言ってみれば、古くなって使わなくなった“黒電話”と同じ存在だ。

 公園の片隅に置いておけば子どもたちも喜ぶし、教育にも文化的にもよろしいこと――などというのはキレイ事。公園の片隅に置いておくためには、定期的なメンテナンスも必要だし古い車両に決まって使われているアスベストの対策にもお金がかかる。その費用として毎年何百万とかかるのならば、学校の耐震補強やら町の病院の設備充実やらに使うべき。そんな発想の何が間違いなのだろうか。いくらその筋の人が「必ず貴重な車両として価値が出る」と力説したところで、その車両に大金をかけて保存すべき価値があるかどうかを決めるのは、今を生きる人である。
「古い車両は貴重だから残すべき」というのは、誤解を恐れずに言えば、あまりに贅沢だ。

 もちろん、本書に登場するような古く、かつ両数の少ない貴重な車両は出来る限り残しておくべきだとも思う。古の鉄道や往事の産業・技術を知る上ではなくてはならないものだし、こうした文化財の保存にかけるお金もないというのは少しさびしい。

 ただ、だからこそ、「残すべき」と言うだけではなくて、ひとつひとつの車両の正しい価値を冷静に見定めて、多くの人にアピールしていく必要がある。これは鉄道車両にかぎらず、“古いものを残すべきか否か”という時には必ず直面する課題になるはずだ。そして、私たちひとりひとりも、晴れて世界遺産に登録されたものばかりでなく、身近なところにも“残すべき価値あるもの”が眠っているということを知る必要があるだろう。

文=鼠入昌史/Office Ti+