“若年性アルツハイマー病”の真実を描く、本年度アカデミー賞受賞『アリスのままで』 原作本がすごい理由とは

映画

更新日:2015/6/5

 アカデミー賞受賞作に注目が集まるのは世の常だが、本年度の主演女優賞を受賞したジュリアン・ムーアはちょっとすごい。『アリスのままで』のヒロイン役で、実に20近い映画賞を射止めたのだ。その評価の高さは、彼女が熱演したヒロインの魅力が、いかに多くの人の心を動かしたかを物語る。

 彼女が演じた役、それは50 歳という人生の充実期に、若年性アルツハイマーを発症するという悲劇に見舞われた女性・アリスだ。一般にアルツハイマーは高齢者の病と捉えられがちだが、全体の10%は遺伝によって65歳未満に発症する若年性という。映画では突然の病にキャリアもプライドも奪われ悩み苦しむアリスと、彼女を見守る家族の絆が丹念に描かれ、感涙必至。6月27日の公開が待たれるが、このほど一足先にその原作『アリスのままで』(リサ・ジェノヴァ:著、古屋美登里:訳/キノブックス)が登場した。

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 実はこの本、ただの原作本ではない。『STILL ALICE』として2007年に自費出版されると、口コミで人気が集まって30万部を超えるヒットに。2009年に大手出版社から出た新装版は40週連続で「ニューヨークタイムズ紙」のベストセラーリスト入り。結果、全米で200万部、31の言語に翻訳され全世界で1800万部突破という大ヒット作なのだ。

 ところで「若年性アルツハイマーの女性と家族をめぐる物語」というと、ある程度内容に想像がつくと思われるかもしれない。だがこの物語では、アリスがハーバード大の終身在職権を持つ高名な学者であり、愛する夫と優秀な3人のこどもに恵まれるという、仕事も私生活も超ハイパーな女性というのがポイントだ。頭脳が明晰なだけに自分の病状を観察できてしまう冷静さが悲しく、言語学を専門としながら皮肉にも言語を失う様は容赦なく残酷。元々が常人を超えた才媛なだけに、その落差と絶望がより鮮明となり、否が応でも彼女の感情に共感させられてしまうのだ。

 また、家族の戸惑いや不安も正直に描かれ、アリスがつとめてクールに受け止める姿もリアル。次第に介護が必要な状況になってはいくが、家族がそれぞれの生き方を捨てずに、互いにフォローし合い、思いやりを持って彼女を支え、受け入れる姿が印象的だ。いわゆる滅私奉公の献身が求められる日本との違いに、むしろ愛情のゆるぎのなさを実感する。

 なお、著者のリサ・ジェノヴァは神経科学者であり、米国アルツハイマー協会のコラムニストの肩書きを持つ人物だ。長年の研究で出会った人々をヒントに描いたという物語のリアリティは、まるで近親者によるノンフィクションのように奥深い。荻原浩の『明日の記憶』や韓国映画の『私の頭の中の消しゴム』のように若年性アルツハイマーを描く作品はいくつかあるが、専門的な現状認識をベースに、リアルな患者の苦しみや家族の心情を描こうとするこの本の試みは、この病をより理解し、共存するための大きな一歩となることだろう。

 現状ではアルツハイマーに治療法や治療薬はなく、薬で進行を遅らせることしかできない。「癌にかかればよかった。癌なら闘うことができる」というアリスの思いは、語弊はあろうが本音だろう。だが彼女は、患者の自助グループを立ち上げたり、認知症ケア専門家の学会でスピーチをしたりと、自らの行動で自分らしく闘ってみせる。「わたしたちを制約するのではなく、力づけてもらいたいのです」ーープライドと力を振り絞ったアリスのスピーチは、あなたの心にも力強く届くはずだ。

文=荒井理恵