世界から注目される日本人女性、職業は「武装解除」 その仕事の中身とは?

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更新日:2015/6/9

 2015年、イギリス政府主催の「International Leaders Programme」(国籍やジャンルを超えて世界を指導する人材を育成するプログラム)の参加メンバーに選出された38歳の日本人女性、瀬谷ルミ子。彼女の職業は「武装解除」だ。2011年に発表された「世界が尊敬する日本人25人」の1人でもあり、2013年からは日本紛争予防センター事務局長に就任。世界中の機関と連携を取り、紛争地域の平和に貢献している。

 「仕事は何?」と聞かれて「武装解除」と答える人は、世の中になかなかいないが、いったいどのような仕事をするのだろうか? 彼女の著書『職業は武装解除』(朝日新聞出版)から、実際の現場の様子を紹介しよう。

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元兵士を、戦いのない社会の一般市民にする

 紛争を終結させて平和へ導くには、国連や隣国からの仲介、NGOの働きかけなどさまざまな方法がある。瀬谷の役目は、紛争が終結した直後の地を訪れ、より多くの人びとが自立した生活を送れるように手助けをすること。特に、子供を含めた元兵士たちが、戦いのない世の中で一般市民として生きていけるようにサポートをするのが専門だ。

 たとえば、2000年のルワンダでは、虐殺で夫を失った女性に洋裁の職業訓練をした。しかも瀬谷は、たった1人で現地事務所の立ち上げから行ったという。足踏みミシンと布を仕入れ、洋裁の講師を募集。訓練希望者が多かったため自ら訓練生を選定し、決して広くはない部屋にミシンを並べて訓練を開始した。訓練の最後には、自分で作った洋服を彼女たち自らに市場で売ってもらい、各自がこれから使うミシンの購入代金に充てさせた。技術を教えるだけではなく、卒業後に自立して生活できるように道筋をつけるのも、大切な仕事なのだ。

 このプロジェクトを実行したのは、瀬谷が若干23歳の時。NGOに就職して最初の海外赴任だった。平和な日本で育った若い女性が担うには重いと思わざるを得ない内容だが、自ら希望してのルワンダ入りだった。

 もちろん、楽しいだけの仕事ではない。当時のルワンダは、集団虐殺で犠牲になった人々の頭蓋骨が現場に並んでいる地域。選挙の際、情勢が緊張し日々接する仲間たちが危険にさらされたときには、1人家に帰って泣いたこともあるという。何かあったとしても、彼らを守るすべを何も持たない無力な自分が情けなかったからだ。

 しかし、瀬谷は「武装解除」の職を離れることはなかった。その後も、シエラレオネにて、戦闘終結後の兵士から武器を回収し、職業訓練を受けさせる活動に参加。軍からの除隊によって生活苦に陥るという兵士の不安を払拭するため、一時金を支給して訓練を受けてもらった。元兵士が困窮に陥らないことは、戦後の社会の安定には欠かせない要素なのだ。このプロジェクトでは、元兵士ばかりが優遇されるという不公平感を和らげるため、彼らを受け入れる側の一般村民に参加してもらうという工夫もした。

 アフガニスタンでの武装解除に携わったときには、カルザイ大統領から助言を求められたこともある。コートジボワールでは国連PKO職員として、現場以外の大きな組織での勤務も経験した。

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