なぜ吉野家は券売機を置かないのか? 吉野家のうんちくを語ろう

ビジネス

公開日:2015/6/15

 ここは吉野家、味の吉野家、牛丼一筋80年~♪ 街を歩いていてオレンジの看板を見かけると、このCMソングが心に聞こえる。近所に吉野家なんてなかった田舎の子どもにとって、牛丼は「キン肉マンが好きな食べ物」でしかなかった。あれから35年以上が過ぎ、吉野家は牛丼一筋115年を越え、牛丼屋はどの街にもあって当たり前の存在となった。いや、一筋ではなくなってしまったか…。

 そんな吉野家のひみつが満載の一冊が『マンガ うんちく吉野家』(室井まさね:著、株式会社吉野家:監修/KADOKAWA メディアファクトリー)だ。疾風のように現れて、東三河のおばちゃんのようにしゃべり倒して去って行くトリビア界の怪紳士・雲竹雄三(別居中)が、今度は「吉牛」を語り尽くす! 読むのが面倒なほど(褒め言葉)膨大なうんちくの中から、いくつかを紹介しよう。

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牛丼のルーツは明治時代にあり!?

 牛丼のルーツは明治時代に大流行した「牛鍋」で、東京だけで200店以上の牛鍋屋があったという。明治時代の江戸の人口を約15万人とすると、750人に1軒。現在の東京都の人口・約1300万人に対し、吉野家+松屋・すき家・なか卯の店舗数の合計が約900店―約1万5000人に1軒。明治時代は現在の20倍の割合で牛鍋屋があった計算となる(筆者調べ・各店の公式サイトなどを参照)。牛鍋の人気が伺い知れる数だ。

 当初の牛鍋は「ネギ味噌」が主流だったが、関西から醤油ベースの甘辛味が広まり、その牛鍋の残り汁をご飯にかけて食べたのが「牛丼」の始まりだとか。

 1899年、創業者・松田栄吉氏が、日本橋にあった魚河岸に第一号店を開き、初めて「牛丼」という名前が使われたという。

吉野家のマークのひみつ

 吉野家といえば、オレンジ色の看板に黒文字の「吉野家」と「ロゴマーク」だ。

 雲竹雄三いわく、おなじみのロゴマークの中心にあるのは「吉野家」のイニシャル「Y」をアレンジした「牛」。牛の頭の上にある「7つの点々」は「湯気」を表す。そして、その牛をぐるりと囲む「しめ縄」は「美味しさは横綱級」という意味だそうだ。なるほど、なかなか良く考えられたデザインだ。

 しかし、なぜオレンジ色なのか? 実は、牛には全く関係がない(笑)。初代社長・松田瑞穂氏が、吉野家のチェーン化に向けてアメリカを視察した際に、コーヒーショップ「ハワード・ジョンソン」の屋根と看板の色を気に入ったからだという。ちなみにファミリーレストラン「ロイヤルホスト」の関係者も同じ時期にアメリカを視察し、同じことを考えたために、同じ色になってしまった…という説もあるそうだ。

吉野家はなぜ券売機を置かないのか?

 吉野家には券売機がない。それは「お客様とのコミュニケーション」を大事にするためだ。「いらっしゃいませ」「ご注文は」「ありがとうございました」と自然に会話が生まれる。また、券売機でチケットを購入するより、口頭での注文のほうが早い。

「お客様が着席してから1分以内(以前は30秒以内)」に提供するのが目標だという。創業以来、不変のキャッチコピーは「早い・うまい」だ。「早い・うまい・安い」の三拍子になったのは1968年以降、2号店ができてから。さらに、現在の「うまい・安い・早い」の順番になったのは、1980年以降だそうだ。「旨さ」を大切にする吉野家の思いが、キャッチコピーには込められている。

 本書には他にもうんちくが満載!「吉野家USA」や「特選吉野家あかさか」などの栄枯盛衰の物語、「吉野家最古の築地店」だけで通じる「アツシロ」「肉下」「トロダク」などの特殊オーダー、幻のマスコット・吉ギュー&吉ブーなど、雲竹雄三のネタは尽きない。

 苦言を言わせてもらうと「吉野家あるある」は、殆どが「どこの飲食店でもあるある」ネタなので、シリーズ次回作では改善していただきたい!

 ちなみに…キン肉マンの大好物の牛丼のモデルは、吉野家じゃなくてなか卯。ゆでたまごの嶋田先生が関西出身で、なか卯のほうが馴染みがあったから。

 懐かしのCMで、牛丼をお土産にもらって「やったねパパ、明日はホームランだ!」と喜んでいる野球少年は「イチロウ君」。いつか、MLBマーリンズのイチロー選手を起用して、このCMをリメイクしてくれることを願いつつ、吉牛を食べに行ってこようっと。

文=水陶マコト