[カープ小説]鯉心(こいごころ)【第十六話】「私、今日がデビュー戦なんです!」

スポーツ

更新日:2015/6/29

カープ小説

◆◆【第十六話】「私、今日がデビュー戦なんです!」◆◆
 

【あらすじ】
文芸誌『ミケ』のウェブサイトで、カープ女子を題材にした小説を連載することになったフリー編集者の美里。熱狂的カープファンのちさとに出会い、これまでの人生で縁のなかったプロ野球の世界に入り込んで行く。2015年カープと共に戦うアラサー女子たちの未来は果たして…?

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「4回の裏、DeNAベイスターズの攻撃は… 2番センター! アラナミィー… ショーゥ!!」

6月19日、金曜日。小雨降る横浜スタジアムの場内に、スタジアムDJの声が威勢良く響き渡る。ライトスタンドのベイスターズファンが歓声をあげ、一斉に手に持ったタオルを振り回す。その様子を美里は、三塁側内野席にひとり座りながら見つめていた。

交流戦を勝率5割で終え、リーグ最下位ながら首位ジャイアンツまで4.5ゲーム差に迫ったカープ。この日からリーグ戦が再開し、目下10連敗中のベイスターズとの3連戦を迎えた。

カープの先発はエース、前田健太。初回から快調なピッチングで、ベイスターズ打線を抑え込んでいく。打線も初回にブラッド・エルドレッドの犠牲フライで幸先良く先制し、3回にも1点を追加。カープは今日勝てば球団通算4000勝目となる節目の試合だ。

美里はこの日、何か小説のネタが見つかればと思い、はじめてひとりで球場に来た。自宅から関内まで1時間以上かかった上、あいにくの雨模様。家を出る前は正直億劫だったが、これも仕事の一部だと自分に言い聞かせ、友達からの食事の誘いも断り、はるばる横浜スタジアムまでやって来た。

しかし、雨の中での野球観戦は想像していた以上に過酷だった。

この日は昼間から気温が上がらず、夜になって一層冷え込んだ。Tシャツの上にスウェットのパーカを羽織っているが、それでも肌寒いくらいだ。そして、どうやら球場では傘をさしてはいけないらしい。小雨とはいえ、ほとんど誰も傘をさしていない。美里はビニール傘を足元に置き、パーカのフードを頭に深くかぶった。

「バカヤロー! どこに目ついてんだよ!」

バックネットの後方辺りから聞こえてくる男の怒鳴り声に、美里は思わず身を縮め込ませた。男は試合開始直後から度々、大声で野次を飛ばしている。

やっぱり野球場って、怖い…

この日横浜スタジアムに着いてから、美里は球場にどこかピリピリした雰囲気が漂うのを感じていた。ベイスターズが10連敗中だからなのか、それともベイスターズファンのそもそもの気質なのか。単に天気が悪いからなのかもしれないし、ひとりで球場にいるのがはじめてだから落ち着かないのかもしれない。応援に精を出す周囲のカープファンを横目に、美里はウジウジと考えた。

「危ない!」

今度はもっと近くから別の男の声がして、美里はハッと我に返った。
次の瞬間、鋭いライナー性の打球が雨を切り裂きながら、美里めがけて一直線に飛んできた。

え?え?
ちょっ…

バコーン!

……

シートから半ば転げ落ちるようにして身を屈めた美里の何列か前で、ボールは誰も座っていないシートに当たって大きく弾んだ。何度かバウンドして通路の階段に転がったボールを、家族連れの父親がキャッチした。おそらく10歳くらいの男の子が父親からボールを受け取り、大喜びしている。とっさにボールを避けた美里は、その反動でパーカのフードが脱げ、頬に冷たい雨粒があたるのを感じた。

「ファールボールの行方には、くれぐれもご注意下さい」

くれぐれもご注意下さい?
先に言ってよ馬鹿!
危うく死ぬところだったじゃん!

無性に腹が立ってきた美里は心の中で場内アナウンスに八つ当たりし、乱れた前髪を直しながらシートに座り直した。
全く、雨の中で野球観戦なんてロクなもんじゃない!

「大丈夫ですか?」

ひとつ空席を挟んで美里の左隣に座っていた女の子が、美里に声をかけた。
美里は少し驚きつつ、バツが悪そうに苦笑いを浮かべた。

「あ、はい、大丈夫です。すみません…」

試合前から彼女の存在に気付いてはいたが、美里はあまり気に留めていなかった。

「ギリギリセーッフ!でしたね!」

彼女は美里の顔を見ながら、悪戯っぽく笑った。
美里はその顔を正面から見て、ドキッとした。

か、可愛い……!

美里はマジマジと、彼女の顔を正面から見た。二重まぶたのパッチリとした瞳に、ふっくらした唇。身長は150センチあるかどうかというくらい小柄で、顔はさらに小さい。ワインレッドっぽい色をしたショートヘアの隙間から見える右耳には、耳たぶから軟骨まで小振りなピアスが5つか6つくらい並んでいる。横顔はクールでスタイリッシュな雰囲気だが、正面から見る笑顔は一転して愛くるしい。マリンボーダーのカットソーにブルージーンズ、足元はスニーカーというカジュアルな格好をしている。

「カープファンですか?」
彼女は大きな瞳を丸くして、美里に聞いた。

「いや、そういうわけじゃないんですけど…」

この質問は毎回、答えに困ってしまう。
「はい、そうです」と言えたら楽なのに。
美里は少したじろいでから、思い切って言った。

「私、カープの小説を書いてるんです」

堂々とした口調になったことに、美里は自分で少し驚いた。

「カープの小説?! すごいですね!」
「あ、いえ… ありがとうございます」

小説を書いている、と言うと大抵「すごいですね」と言われる。そう言ってしまう気持ちはわからなくはない。自分もそう言われたら、きっと同じようなリアクションをするだろう。

「私、アミです」
彼女はまたニッコリ笑って、美里に言った。

「は、はじめまして。横山っていいます」
「下の名前は?」
「あ… 美里です」
「ミサトさん… 美しいに、里?」
「はい、それです」
「素敵な名前ですね!」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
「あ、これ、よかったら」

アミはそう言って、崎陽軒のシウマイが詰まったボックスを美里に差し出した。

「え、い、いいんですか…?」
「はい! さっき買ってきたばっかりなんで、まだ温かいですよ」
「す、すみません。ありがとうございます…」

美里は申し訳なさそうにシウマイをひとつ、自分の口に運んだ。ジューシーな熱い肉汁が、雨で冷えた体を少し温めてくれる。アミも小さな口にシウマイをひとつ入れ、リスのように頬を膨らませた。

「あの… 球場にはよく来られるんですか?」

美里は何か話を振ろうと思い、とっさに思い付いたことを聞いた。
アミはしばらく口をもぐもぐさせたまま、じっと美里の顔を見た。
そして、ゆっくりとシウマイを食べ終えてから、満面の笑顔で口を開いた。

「私、今日がデビュー戦なんです!」

(第十七話につづく)

イラスト=モーセル

[カープ小説]鯉心 公式フェイスブック
【第一話】「ちさとちゃん、何でカープ好きなの?」
【第二話】「か、カープ女子…?」
【第三話】「いざ、広島へ出陣!」
【第四話】「生まれてはじめてプロ野球の試合をちゃんと見た記念日」
【第五話】「カープファンは負け試合の多い人生ですから…」
【第六話】「私も小説書きたかったんだよねえ。若いころ」
【第七話】「私たちカープファンにできること」
【第八話】「好きとか嫌いとか、にじみ出るものだから」
【第九話】「神宮球場で飲むビールは世界一美味しいのかもしれない」
【第十話】「女が生きにくい世の中で、女として生きてるだけ」
【第十一話】「ターン・ザ・クロック・バック」
【第十二話】「カープと遠距離恋愛してるみたいな感じ」
【第十三話】「カープ女子と広島焼きは、似た者同士です」
【第十四話】「毒にも薬にもならない言葉は、誰の心にも残らない」
【第十五話】「カープも私も、仕切り直しだ 」