細田守が『バケモノの子』で描く、少年とバケモノの本当の親子に負けない強い絆

文芸・カルチャー

更新日:2015/8/4

 7月に公開され、現在も大ヒット上映中の細田守監督最新作『バケモノの子』。監督自ら書き下ろした原作小説『バケモノの子』(細田守/KADOKAWA)は、すでに40万部を突破。こちらも好調だ。

 極力ネタバレは避けたいが、簡単にあらすじを説明すると――

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 母親を亡くし、一人ぼっちになってしまった人間の少年が、バケモノ・熊徹と出会い、異世界・渋天街で暮らし始める。弟子となり九太という名を与えられた少年は、ぶっきらぼうな性格の熊徹とぶつかり合いながらも、次第に心を通わせ、本物の親子のように絆を深めてゆく。時は過ぎ、逞しい青年へと成長した九太は、偶然人間界に戻り、女子高生・楓と出会う。恋や勉強、ファッションなど人間界の価値観に触れ、九太が自分の生き方を模索し始めると、熊徹との親子関係にも変化があらわれる。

 そして、起こる人間界とバケモノ界を揺るがす大事件。バケモノ親子に決断の時が訪れる――。

 細田監督自らが書き下ろした本書は、映画と同じ物語を、登場人物たちが語り聞かせるスタイルで書かれている。熊徹や九太の主観で書かれている場面も多いが、その時々の心情の直接的な記述はない。あくまでも状況やセリフからキャラクターの心情を想像させる文章や構成は、どこか脚本的でもあり、映像的でもある。

 いわゆる「決め台詞」のようなものでテーマをぶつけて、物語の転機を示すような場面はほとんどない。だが、「キミとなら、強くなれる」のキャッチコピーが示すように、九太が熊徹らバケモノたちや楓と出会うことで、お互いが競い高め合い、戦う力も絆も強くなっていく姿が丁寧に積み重ねられ、気づくと物語に入り込んでいるのも、細田作品の色がよく出ている。

 また、『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』と比較すると、同じテーマが根底にありながら、その視点の変化が見えて、興味深い。

 『時かけ』は、女子高生の主人公の学園生活を舞台にした王道のジュブナイル。ネタバレを避けるために曖昧になるが、ラストで描かれるのは、少女と少年の切なく遠い「絆」だ。

 『サマーウォーズ』は、男子高校生の主人公が、ヒロインや大家族、世界中の人々と共に、世界の危機に立ち向かうダイナミックな「絆」の物語。

 続く『おおかみこども』では、「絆」をより色濃くした「家族」へとテーマを深化させ、細田監督の劇場作品では初の大人主人公(シングルマザー)の物語となった。ジュブナイル要素は「娘の初恋」のシーンで描かれるが、主題は恋愛ではなく、それを見守る母親の想い、そして子どもの成長と共に変わりゆく「親子関係」にある。

 ガジェットを変え、視点を変えながらも、変わらずに細田監督が描き続けてきた「人間の絆」は、『バケモノの子』でも健在だ。

 人間の少年とバケモノの熊徹という2人の間を「親子」とすることで、血のつながりや種族ではごまかせない、本物の心の絆に迫る。

 物語の舞台設定も、都会から田舎へとシフトしていった前3作よりさらに踏み込み、人間界とバケモノ界を並立させることで「価値観の相違」もより明確になった。

 人間界を離れ、熊徹と暮らし始めた九太は、人間の文化に触れることなく、渋天界の住民として、“バケモノの子”として育っていく。いつしか熊徹にも並ぶ強さを持ち、後輩たちからも一目置かれ、周囲も九太自身も後継者として生きていくだろうと感じ始める。だが、17歳になりたくましく成長した九太は、人間界に出て同世代の少女・楓と出会ってしまう。楓から勉強を教わり、人間界で過ごす時間が増えると、バケモノの子としての価値観と人間としての価値観が、九太の中でせめぎ合い、心が揺れ始める。そんな自分の気持ちを素直に伝えられない九太と、九太を信じて疑わない熊徹のギャップが、親子関係の難しさをリアルに感じさせる。

 こうしたエピソードを繊細につづり、「人間の絆とは何か」「親子とは何か」を本作は問いかける。そのための仕掛けは、九太や熊徹以外のキャラクターたちにも数多く配されており、伏線がひとつに収束していくクライマックスには、手に汗握る熱い展開が待っている。

 そして、物語のラストで九太や熊徹たちがくだす決断の意味を、あなたも一緒に考えてみてほしい。人の絆とはなにか、親子とはなにか、本当の強さとはなにか、を。

文=水陶マコト

『バケモノの子』(細田守/KADOKAWA)