困ったときは基本に帰れ! 手に汗握る中山道参勤交代道中記

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/19

文久元年。かぞえ年19歳にして、父の不慮の死により家督を相続した小野寺一路。彼の家は代々、美濃に所領を持つ交代寄合蒔坂家の御供頭を勤めていた。ひらたく言えば、大名並みの旗本であるお殿様のもとで、参勤交代の一切を取り仕切る仕事である。

ところがこんなに早く父が亡くなると思ってなかったので、一路はお役目について何ひとつ習っていない。なのに参勤の出発はすぐそこ。お役目を果たせなければ切腹の上に御家も召し上げられることは自明だ。二百年以上前に記された家伝「行軍録」を唯一の手がかりに、古式に則った行列を仕立てて出発することにした。しかし背後にはお家転覆を狙う一派の陰謀もあるらしい。さてこの道中、どうなる?v

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浅田次郎著『一路』(中公文庫)で、まず読ませるのは、美濃から江戸までの中山道の旅の様子だ。木曽三川を渡り、妻籠の先の与川崩れの難所を瀕死の思いで越え、諏訪の神様に詣で、師走ということもあり下諏訪の先の和田峠では吹雪に遭難しそうにもなる。安中ではマラソン侍に助けられ(土橋章宏『幕末まらそん侍』を読まれたい)、下仁田では風邪の特効薬に葱を貰う。文字通りの山あり谷あり、だけどそれだけじゃない、その土地ならではのエピソードが実に上手く物語を動かしていく。中山道が物語のもうひとつの主役と言っていい。

だが何と言っても目を引くのは、主人公小野寺一路が参勤交代制度が始まった時点での方法で行列を仕立てたことである。これは作中では「参考にするものがそれしかなかった」という体裁になっているものの、実は「長年の慣習で原型が変わったものや形骸化したものが多い中、もう一度基本に立ち返る」という本書のテーマがある。今の世にも通じることだ。なんでこんな決まりなの? なんでこんなことやってるの? そう思ったときに基本に立ち返れば、最も重視しなくてはいけないことは何なのか見えてくる。

本書ではそれを参勤交代に象徴させているが、実は御家に仕える武士たちが自らの矜持に立ち返るのも同じことだ。加賀藩の姫さまが、恋という内なる思いに従って行動を起こすのも然り。他にも、本書の随所に登場する多くの人が──医者が、宿屋の主人が、関所の役人が、番小屋の同心が、他藩の武士が、渡世人が、なんと馬までもが、自分の仕事のなんたるかに迷ったとき、「自分の仕事の根源的な意味は何なのか」を考えて、それに従って行動する。背筋が伸びるような、その気持ち良さ。

浅田次郎お馴染みの「声に出して読みたい日本語」が目と耳に心地よい。各場面にまぶされた爆笑シーンも実に楽しく、ツボを突いてくる(「葱かよ」には大笑いした!)。一本筋の通ったテーマを、笑いと興奮と汗と涙と誇りで彩った、これぞ浅田時代劇だ。さあ、一路たちとともに、双子の槍持の声を聞きながら、いざ中山道へ!

文=大矢博子

『一路』(浅田次郎/中公文庫)