「セカチュー」に匹敵! 2015年はネット発の純愛小説「キミスイ」ブームが来る!

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/19

 生と死は、対岸にあるように思えるが、実は陸続きなのかもしれない。人間いつ死ぬかわからない。そんな言い古されたことは重々理解しているつもりでも、日々を過ごすなかで、どうも忘れてしまう。何気ない日常の大切さを思い出されてくれるのは、小説の力といえるだろう。

 かつてブームとなった「セカチュー」こと『世界の中心で、愛を叫ぶ』(片山恭一)を彷彿とさせる純愛小説が登場した。その小説の名は、住野よる氏の『君の膵臓をたべたい』(双葉社)。本作は、小説投稿サイト「小説家になろう」から誕生したもので、既にネット上でも大きな話題を集めている。タイトルだけみると、「ホラー小説?」「グロ小説?」なんて思ってしまうが、本を開けば、このストーリーの純情な青春の匂いに圧倒されるに違いない。そして、クライマックスにかけて明らかにされるタイトルに込められた本当の意味に胸が締め付けられる。今年は、「セカチュー」ブームのような、「キミスイ」ブームが起こるといっても過言ではない。

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 この物語の舞台は、今よりも医療技術が発達した少し先の未来。友人をひとりも作れず、周囲と関わることを避けて生活してきた高校生の主人公は、ある日、「共病文庫」というタイトルの1冊の文庫本を拾う。それはクラスの人気者・山内桜良が綴っていた、秘密の日記だった。その日記によれば、彼女は膵臓の病気で余命いくばくもないという。全く接点のなかった2人は日記を拾ったことにより、関わりを持ち始める。とても死が近いとは思えないほど、天真爛漫に振る舞う桜良に振り回される主人公。しかし、病を患う彼女に、残酷な現実が突きつけられる。

 「キミスイ」の世界は、「セカチュー」の世界よりも、医療技術が発達している。余命が1年未満であっても、誰にも秘密を知られずに日常生活を送れるほどに医学は進歩している。だから、桜良は、当たり前のように学校生活を送り、当たり前のようにブラックジョークや軽口を叩く。この本を読むものも、主人公も、ふと気を抜くと、彼女に死が迫っていることなど、忘れてしまいそうになる。

「うわぁ! ラーメンの匂いがする!」
「それは流石に気のせいじゃない?」
「絶対するよ! 鼻腐ってんじゃない?」
「君みたいに脳じゃなくてよかったよ」
「腐っているのは膵臓ですぅ」
「その必殺技、卑怯だから禁止にしよう。不公平だ」

 しかし、いつも明るく振る舞う彼女の身体は着実に病に蝕まれていく。そして、非情な運命が彼女を待ち受けている。死が2人を別つ日は必ず来る。物語が進むにつれ、桜良があまりに明るいがゆえ、現実の残酷さが際立ってくる。微笑ましいはずの桜良と主人公のテンポの良い会話も2人のちょっとしたデートも、ああ、すべてが切ない。「普通に生きる」ということはこんなにもかけがえのないことなのだ。

 スクールカーストの底辺にいて、誰からも存在を認識されなかった主人公が、クラスの人気者・桜良と関わることによって次第に変わっていく。主人公と桜良の性格は「正反対」。友人がひとりもおらず、誰にも関わらずに閉じこもりがちに生活している主人公と、多くの友人に恵まれ、好奇心旺盛に何でも好きなことをしようとしている桜良。余命わずかだからこそ結びつけられた2人の関係を恋と呼ぶのも愛と呼ぶのも、なんだか、苦しい。この小説には、友情と恋と、そして青春とが凝縮されている。

「君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私たちを会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ」
「きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ」

 自分に足りないものを求めて人は誰かを好きになるのかもしれない。磁石のS極とN極のように正反対の人々が惹かれ合うという受動的な話ではない。私たちは主体的に能動的に自分にない魅力を持つ人を欲してしまうのだろう。つらい現実が待ち構えていようと止められない思いがある。胸が苦しくなるほど切ない「キミスイ」は今もっとも注目すべき純愛小説だ。

文=アサトーミナミ

『君の膵臓をたべたい』(住野よる/双葉社)