目の見えない人は世界をどう「見て」いるのか?

生活

更新日:2015/7/5

 豪雨の夜、近所の電柱のトランスが炎上し、付近一帯が停電した。真っ暗な室内でしばらく過ごすうちに、感覚が切り替わる瞬間があった。

 最初のうちは記憶にある室内の映像を思い浮かべて動いていた。写真の中にいながら「平面的」な感覚とでも言える感じ。

advertisement

 しかし、途中からすべてが黒い空間になり、触ったモノだけが白線の輪郭を持つ立体として意識の中に配置され始めた。すると、部屋の広さやモノの大きさが普段より実感できるようになったのだ。

 ふと考えた。「目の見えない人って、こういう感覚なんだろうか」と。興味をひかれ、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗/光文社)を読んでみた。

 人が得ている情報の8~9割は視覚からのものだという。視覚に依存するあまり、目でとらえた世界がすべてだと思いがちだが、耳や手などの他の手段でアプローチすると、そこには「世界の別の顔」が浮かび上がってくる。

 視覚抜きに成立している体を持ち、「世界の別の顔」を感知できるスペシャリストが「目の見えない人」だ。

 全盲や弱視、最初から見えなかったのかどうかなど様々な状況の違いはあるが、本書で取り上げる「見えない人」というのは「見えなくなった人」ではない。体に男女の差があるように、宗教や国などによって文化が異なる人々が存在するように、「見える人」と「見えない人」が存在するという考え方である。伊藤氏は、視覚障害者数名とのインタビューや対話を通して「見えない人の世界のあり方」を探り、「見えない体を体感しよう」と試みている。見えない人の言葉から「見え」てくる「世界の別の顔」とは…?

見える人は2次元、見えない人は3次元?

 同じ坂道を歩いていても、見える人と見えない人では空間の把握の仕方が違う。

 見える人は、目から入る情報を「平面」に統合して整理する。テレビ画面のように奥行きはあっても平面。2次元だ。しかも、坂道がどのような地形の上になりたっているかは関係なく、目の前の光景だけを切り取って把握する。

 見えない人は「坂道」の意味を考える。足から伝わる「斜面」は、なんの斜面なのか? 地名が「大岡山」であれば「ああ、ここは山の一部だ」ととらえ、脳内には「俯瞰的で立体的な山」が浮かび上がる。

 見える人は情報が多いのに部分しか把握しない。見えない人は情報が少ないのに全体を見る。逆のような気もするが…取材協力者で全盲の木下路徳さんは「脳の中にあるスペースの使い方が違う」のではないかと言う。見える人は「坂」以外の情報で脳のスペースがいっぱいだが、見えない人はその分が空いている。その空きスペースを使おうとして、情報と情報を結び付けることで、全体像が脳内にできるのだろうと。

「見えない人はある意味で(脳の)余裕があるのかもしれないね」

コンビニは星座? 幾何学的で抽象的な空間把握

 中途失明の難波創太さんは、視力を失ったことで、都市空間による「振り付け」から開放された経験を語っている。

 失明した当初は、情報の「欠如」に対する飢餓感に苦しんだという難波さんだが、年月をかけて情報がなくてもいいと思えるようになった。難波さんは言う。

「自分が辿り着ける限界の先にあるもの、意識の地平線の先にあるものにはこだわる必要がない」

 コンビニでは、いかに客に商品を手に取らせるかを計算して商品を陳列し、キャンペーンのチラシを貼る。だが、見えない難波さんの意識には届かないので、欲しくならない。見えない人は、必要なものがどの棚のどの位置にあるのかだけを、脳内の店内に配置する。入口→飲み物→おにぎり→レジといった重要なものだけが、星座のように「見え」ているという。

 同様に、見えない人の部屋は、幾何学的で抽象的な傾向がある。余計なものがなく、整理されて片付いているという意味だ。紛失して探すのは非常に労力がかかるため、使ったら定位置に戻すよう「置き場」を決める。外出時と違って、多くの時間を過ごす自室では、「物理的空間」と「頭の中のイメージ」を極力一致させることが、快適さを生む。そのため、見えない人は「頭の中のイメージ」に「物理的空間」を合わせて部屋を作る。

 意味や意図から逆算されて構成された部屋が、幾何学的で抽象的なのは分かるし、見えない人が、どう部屋を「見て」いるのか想像できるだろう。

 本書では、上記で紹介した他にも、空間・感覚・運動・言葉・ユーモアをテーマに、様々な角度のテーマから「見えない体」を分析し、見える人と見えない人の違いを考察し、丁寧に伝えている。

 著者の伊藤氏は、見える人と見えない人が、互いの差異を「面白がる関係」を築き、恋愛話をするように、障害について話せるようになればいいと言う。助ける側と助けられる側ではなく、違う体を持つ存在同士、対等に。

 その先に「障害が触媒となるような、アイデアに満ちた社会を目指す必要があるのではないか」と問いかける。

 本書は、そんな新しい社会を「見る」ための手掛かりになると思う。

文=水陶マコト