3.11を体験した作家・伊坂幸太郎によるエッセイ集『仙台ぐらし』。そのなかで、彼が本当に言いたかったこととは…

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/19

 昨年9月の御嶽山噴火にはじまり、箱根山や浅間山など、いまにわかに火山活動が活発化している。これは恐るべき天変地異の前触れなのか…。となると、やはり思い出されるのは、「東日本大震災」だ。現地で暮らす人々の生活には、いまだ震災の爪痕が残り、不安が完全に払拭されているわけではないだろう。

 日本全土に漂う、言い知れぬ不安感。そんな状況だからこそ、読んでおきたい一冊がある。作家・伊坂幸太郎氏の『仙台ぐらし』(集英社文庫)だ。伊坂氏は、第一線で活躍しながらも、仙台で生活をしている作家。彼は東北大学を卒業し、そのまま仙台で就職、その後作家デビューを果たし、いまに至る。ずっと仙台で暮らしてきたのだ。そう、あの震災の日も。

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 とはいえ、本作は世にあふれている「震災関連本」ではない。伊坂氏の仙台での暮らしぶりを、軽さと朴訥さが同居する文体でまとめたエッセイ集だ。掲載されているのは、仙台の出版社・荒蝦夷が発行する「仙台学」にて連載されていたものが中心。内容としては、伊坂氏が仙台で暮らすうえで抱いている、素朴な疑問をテーマにしたものがほとんど。「仙台はタクシーが多すぎる」「仙台にはなくなってしまうお店が多すぎる」「仙台には、他人の家の庭を勝手にトイレにしてしまうずうずうしい猫が多すぎる」などなど…。いずれも日常生活における瑣末なできごとを、作家特有の目線で切り取っている。

 そして、そんな仙台での日々を綴るうえで、どうしたって外せないのが「震災」について。もちろん、伊坂氏も当時のことを詳細に描いている。

 けれど、本作が他の震災関連本と異なるのは、伊坂氏の目線が実に淡々としているからだろう。必要以上に不安を煽ることもなく、諦念に浸ることもない。当時起こったことを、まっすぐに描いている。それはおそらく、彼が作家だからだろう。作家ゆえに、現実を現実として受け止め、紙に落とし込んでいく。あるいは、自身が抱く不安を、紙に焼き付けることで昇華させようとしていたのかもしれない。

 震災当時、伊坂氏は、いつも執筆で使っている喫茶店にいたという。そこで激しい揺れに遭遇し、他の客ともども外に飛び出した。そこで目にしたのは、同様に避難している大勢の人々と、いまにも折れんばかりに揺れるビルの姿。

 それから電気も交通も、なにもかもがストップした。物流も滞ってしまったために、購入点数が限られるスーパーに家族総出で並んだ。そして、1カ月間、いろいろなことで泣いたという。

 けれど、彼はこう結ぶ。

“「はじめからやり直し」などではない。同じことを繰り返しながらも、僕たちは前に進んでいく。そのはずだ。”

 そう、少しずつだが、被災地は前進している。伊坂氏は、それを、身をもって感じているのだ。

 また、本作には、短編小説「ブックモビール a bookmobile」も収録。被災地を巡る移動図書館車両を描いた物語で、まさに震災を体験した伊坂氏だからこそ書けた作品だと思う。

 あとがきにて、伊坂氏は「本作が震災関連本とひとくくりにされてしまうことを危惧した」と語っている。とはいえ、仙台での暮らしを描いたエッセイとなれば、どうしたって震災が含まれる。けれど、伊坂氏が本当に描きたかったのは、震災も含め、自身の愛する仙台でのおもしろおかしい暮らしぶりなのだろう。

 震災前と震災後、その日常は地続きであり、別物ではない。あくまでもぼくらの日常は淡々と続いていく。そんなことを思わせる読後感だった。

文=前田レゴ

『仙台ぐらし』(伊坂幸太郎/集英社)