岩田聡氏と任天堂――日本の異能の思いを継ぐ

ビジネス

公開日:2015/7/14

 任天堂の岩田聡代表取締役社長が11日に亡くなった。

「私の名刺には、社長と書いてありますが、心はゲーマーです」

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 Wiiをはじめてお披露目した2005年のE3(アメリカで開催される世界最大のゲーム展示会)で、そう挨拶した岩田氏。HAL研究所を経て、任天堂の社長に就任したのは2002年。PlayStationとの競争に苦しんでいた任天堂をDS・Wiiで立て直した手腕は、世界からも高く評価されている。

 高機能、高画質を追求するゲーム業界の流れの中で、コアゲーマーだけでなく、誰もが楽しめるという娯楽の本質を追求した結果、DS・Wiiは敢えてその逆を行くスペックで大ヒットとなった。

 なぜ、そんな決断が出来たのか?ファミコンを世に送り出した山内溥氏や、「枯れた技術の水平思考」で知られる横井軍平氏、「マリオの生みの親」宮本茂氏らから受け継がれる任天堂の遺伝子がそこにあったことが、『任天堂 “驚き”を生む方程式』(井上理/日本経済新聞出版社)を読むとよく分かる。

本年のE3にあわせて公開された動画。マペットを使った演出が話題を呼んだ

 先代の山内氏は、HAL研究所で「星のカーヴィ」などユニークなソフトを生み出す岩田氏に注目し、経営難に陥ったHAL研究所を支援する際、岩田氏をその社長にすることを条件にしていたことが本書では紹介されている。その後再建を果たして岩田氏は任天堂に移籍、尊敬すると公言する宮本茂氏(氏は横井軍平氏の影響を多く受けている)と二人三脚でヒットタイトルを次々と生みだしていく。

 2009年に刊行された本書では、DSとWiiで快進撃が続いていた岩田氏率いる任天堂の快進撃の様子が生き生きと描かれる。しかし、その後から現在に至るまでの、任天堂での岩田氏の取り組みは必ずしも成功続きではなかった。Wiiの後継機Wii Uは苦戦しており、NXと呼ばれる次世代プラットフォーム構想が既に立ち上がっていることが3月の会見では明らかにされている。今年のE3にあわせて発表されたタイトル数が少ないことや、その内容にはファンからの失望の声も上がった。

 岩田氏は13年間の任天堂の舵取りの中で、2つの困難な戦いと向き合っていた。1つは、本書で詳しく取材されているソニーやマイクロソフトといった巨大メーカーの競争、そしてもう一つはその後のアップルのiPhoneに代表されるスマートフォンとの「娯楽の主役」を巡る戦いだ。1つめの戦いには勝利を収めたが、その直後は苦戦も強いられているのもまた事実だ。

 岩田氏は2014年6月に一旦静養し、10月に復帰している。そして、今年3月にはソーシャルゲーム大手のDeNAと協業を発表し世間を驚かせた。


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DeNA守安功代表取締役社長兼CEOと会見で握手する岩田社長。筆者撮影

 DeNAとの協業について一部新聞は、岩田氏が会見で繰り返し否定したにも関わらず「マリオがソーシャルゲームになるのではないか」「ガチャ課金の仕組みが取り入れられるのではないか」と書き立てたりもした。「ゲーム人口の拡大」を常に追求していた岩田氏が、果たしてDeNAとの協業にどんな具体的なイメージを持っていたのか、氏の言葉として語られることは残念ながら遂に無かった。

 しかし、社員数2000名余り(連結で約5000名)の愚直なまでに「娯楽」に拘る会社が、逆転の発想で世界を驚かせ、変転著しいこの約10年間、巨大企業との勝負を続けて来た。この間に多くの日本企業が変化に対応仕切れず、競争から脱落してきたにも関わらず、だ。この歴史そのものが、岩田氏の手腕が如何に優れていたかを雄弁に物語っている。

 果たして、氏が描いていたゲームの次の姿とはどのようなものだったのか?任天堂というユニークな会社で、その思いを引き継ぎ、形にしてくれるのは誰なのか?山内氏から脈々と受け継がれてきた「娯楽」という遺伝子が、スマホやソーシャルゲームと組み合わさった時、何が生まれてくるのか?――直感でカリスマ的な経営判断を下してきた山内氏に対して、ロジックと分かりやすい言葉で我々に語りかけるスタイルの岩田氏が、55歳という若さで退場してしまったことが悔やまれてならない。本書では意欲的な取り組み(しかし、「娯楽」を本業とする任天堂にとっては、パートナーに任せるスタンスが貫かれた)として紹介されているテレビ連携や生活サービスなどのプラットフォーム運営が1つの鍵を握っているのではないかと、個人的には考えているが…。

 いずれにしても岩田氏の、天才という形容詞では括りきれない、ひたむきにゲームの面白さを追求するその姿勢やキャラクターに惹かれていたのは筆者だけではないはずだ。喪失感は大きい。

文=まつもとあつし