古本の書き込み、線引き、挟まれたメモに、考古学者のように向き合い妄想する『痕跡本の世界』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/19

 ふつう、書き込みなどのある古本は「キズ物」のように扱われ、古本屋にもお客さんにも忌み嫌われる。だが、そんな本をあえて収集する奇特な人がこの世の中にはいる。『痕跡本の世界 古本に残された不思議な何か』(古沢和宏/ちくま文庫)の著者はそんな人物だ。

 著者の定義によると、痕跡本とは、書き込みがあったり、線引きがあったり、メモが挟み込まれていたりと、前の持ち主の「痕跡」が残された古本のこと。本書では、著者が収集した様々なタイプの痕跡本の数々が紹介されているのだが、その痕跡本への著者の向き合い方が何より面白い。

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 わずかに残された痕跡から、前の持ち主がどう本と触れ合ったのかを探っていく…という著者の作業は、最初は探偵の仕事のようなものだと思っていた。だが読み進めるうちに、その姿はロマンにあふれた考古学者に見えてくる。考古学者が一片の化石から遠い古代に思いを馳せるように、著者は小さな痕跡から、その本と前の持ち主の関係を想像する。そしてその想像の仕方は、とても優しくロマンチックなのだ。

 一例として、『演技入門』(水品春樹/ダヴィッド社)という本に残された痕跡に、本書で著者がどう向き合ったのかを紹介しよう。

 この本に挟まれたアンケートはがきには「よむこと」という書き込みがある。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を例題に、散文の朗読について書かれたページには、丸印に「宿」と宿題を示唆する文字があり、読み方のコツなどについてびっしりと書き込みがされている…。

 普通の人であれば、この痕跡を見ても「演劇を勉強している人が読んだんだろうなぁ」と思って終わりだろうだが、著者は違う。著者はその痕跡から、「ある劇団員の先輩が、俳優として行き詰まっている後輩のロッカーに、この本をこっそり置いて無言のアドバイスを送った」という物語を創作してしまうのだ!

 しかも、その物語は2ページ近くにも及ぶ長さ。「私……才能ないのかもしれない……」と落ち込んでいた後輩が、この本に出会って立ち直り、「先輩。私の『蜘蛛の糸』聞いてもらえませんか?」というセリフで幕を閉じる…という、何だか美しい話に仕上がっているのである。

 ここまで来るともう完全な妄想なのだが、著者は自身でもその作業を妄想と認めている。なお、そんな妄想を繰り広げる背景には、著者が自身に課した「想像はOK、追跡はNG」という痕跡本と向き合う際の基本ルールがある。そしてそのルールは、前の持ち主へのリスペクトと、古本への愛から生まれたものなのだ。

 だからこそ、恥ずかしいラブレターやポエムの痕跡を目にしても、著者はそれをバカにしたりはせず、そこにほっこりする物語を見出す。書き手に罵詈雑言を浴びせるような書き込みを目にしても、その裏側に隠されたコンプレックスまで丹念に読み解き、親近感の持てる話にしてしまう。その姿勢は、恋にノロケる客にもグチばかり言う客にも笑顔で向き合い、きちんと相手を癒してくれる一流のバーテンダーのようにも見える。

 …と、何だかものすごく美しい本のように紹介してしまったが、もちろんネタ的に笑える痕跡本も本書ではたくさん紹介されている。筆者が読んでいて爆笑したのは、エッチな内容の本のカバーが裏返されていて、表側に来た真っ白な表紙に「ハイデッガー 存在と時間」とニセのタイトルが書かれていた痕跡本だ。この本は写真もバッチリ掲載されているので、ぜひ本書を手に取って確認してほしい。

文=古澤誠一郎