オリンピック問題、安保法制、責任転嫁、隠蔽体質……止まらない日本の劣化 敗戦し続ける国の戦後70年とは?

社会

公開日:2015/8/5

 戦後70年の日本、今のこの国には奇妙な空気が漂っている。民意と乖離した国政、責任のバトンリレーが続く新国立競技場問題、貧民を生み出す景気対策。収まらない原発事故に目隠しをして、別の原発が再稼働する。マスコミにケンカを売ったはずの首相がテレビを梯子して自己正当性を訴え続ける姿に怒りを越えて悲しさを感じるが、原発の危険よりも収入を優先する地元民や電気代高騰に不満を漏らす国民側にも多分に問題はある。

 東日本大震災を境に露見し始めた日本という国の弱さと脆さと愚かさと。ときどき光る優しさに見とれ、忘れそうになるが、この国が破滅へ加速しているような不安が拭えない。

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 今、この国で起きている問題の根っこにあるものは何なのか? 「戦後」を見つめ直すことで浮かび上がる日本という国の姿を、内田樹氏と白井聡氏が徹底討論したのが『日本戦後史論』(徳間書店)である。

 2人が対談で触れる話題は多岐に渡り、ともすれば過激な発言にも思える部分があって、その是非は読者に一任したいが、白井氏の唱える「永続敗戦レジーム」と内田氏の「のれん分け戦略」が興味深い。

 1945年に終結した第二次世界大戦で、日本は敗戦国となったが、日本の指導者たちはその地位に留まるために敗戦という事実をあいまいにした。「敗戦の否認」など、本来ならありえない話だが、日本を自由主義陣営に留めたいアメリカの意思は、消去法的に制御しやすい保守勢力を選んだ。日本の保守政治勢力は、対国内的には敗戦をごまかし、アメリカには無条件降伏をすることで権力の座に留まった。そんな指導者たちがアメリカに頭が上がるわけがない。こうして形成された対米従属構造……日本が負け続ける構造、それを白井氏は「永続敗戦レジーム」と呼ぶ。

 そして、この永続敗戦の構造にありながら、戦後日本は「対米従属を通じて対米自立を果たす」というトリッキーな国家戦略をとった。

 相反する要素にしか見えないが、日本は、いつか「長い間、奉公ごくろうさん。そろそろ独立して自分の店を持ちなさい」と言われることを、アメリカに期待している――それを内田氏は「のれん分け戦略」と呼ぶ。

 だが、そんな期待とは裏腹に、現実には基地問題一つ解決できないし、TPPへの参加や司法制度をアメリカ流に改革するよう求められ、それを無碍に否定することもできず、その場しのぎでパッチを当て続ける。その歪みがもはや修正不可能な段階に差し掛かっているのが今の日本であり、その先に待つのは「破局」だ。

 それでもこの状況をひっくり返そうとしないのは、日本人の「ことなかれ主義」と内在する「自滅衝動」だと、議論は展開してゆく。

 口を出して揉め事を起こすなら、やりたいようにやらせて終わりを見せてやればいい。修正を重ねるならば、全部壊して作りなおせばいい、という潜在意識が日本人にはあるのだという。

 本書は、タブーなき議論というだけあって辛辣な内容もあるがそれだけに内田氏と白井氏の率直な視座と熱が伝わってくる。何かおかしい、不快だとモヤモヤしている人にとっては目からウロコかもしれない。戦後70年の節目の年、日本人が目を逸らしてきた「敗戦」に目を向け、2人の対談に触発されて、読者が「戦後」を考えることには意味がある。気づくと、ページをめくる手を止めて、あれこれ考えている自分がいた。

文=水陶マコト