ザビエルは、中国で死亡? 一休さんの老後は美女と一緒に… あまり知られていないその後の日本史

社会

更新日:2015/8/10

「その後」の日本史』(八幡和郎/宝島社)

 日本史に登場するさまざまな人物のその後を知っているだろうか。歴史にあまり詳しくない筆者はフィギュアスケートの織田信成の登場で、織田家が今も続いているんだとはじめて知った。『「その後」の日本史』(八幡和郎/宝島社)では、日本史に名の残る人物のその後が描かれている。本書から、教科書では教えてくれないその一部をご紹介しよう。

フランシスコ・ザビエルは志半ば中国で死亡

 フランシスコ・ザビエルについて多くの人が知っている情報といえば、日本にキリスト教を布教したということだろう。

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 日本での布教活動を終えたザビエルはすぐに東洋の布教活動の拠点であったインドに戻る。大分県豊後を出たザビエル一行は、インドのコチンに到着。日本を含む多くのアジアの国が中国から影響を受けていることを知り、次は中国にキリスト教を普及させようとする。しかし、当時のザビエルの体調は悪かった。ゴア在住の神父が送った書簡には「ザビエルは食もとれないほど胃が痛み、衰弱もひどかったにも関わらず働き続けていた」という記述もある。その後、船が渡航禁止になるなどの苦難を乗り越え中国へ。ザビエルは中国での活動をはじめてまもなく肺炎を患い亡くなる。

 志半ばにザビエルだが、彼の死後には不思議な話がある。ザビエルの死体が腐らずに生前のままの姿をとどめていたというのだ。ザビエルの奇跡を目撃したある信者は足の小指と薬指を噛みちぎって持ち去ってしまったという話もある。また、その話を知ったイエズス会総長は右腕を送るように命令。腕を切断されたザビエルだが死後50年以上経っても鮮血がほとばしったという。布教活動に邁進したザビエル、死後も何かの力によって守られていたのかもしれない。

絶世の美女と同棲して幸せな老後を過ごした一休さん

 ザビエルのように志半ばにして、生涯を終える人ばかりではない。アニメ『一休さん』で知られる臨済宗の僧 一休宗純は幸せな老後を迎えた1人ではないだろうか。

 一休さんと言えば、アニメとは違う破戒僧的な生き方で有名だ。そのため多くの奇行が語り継がれている。悟りを開いた証にもらう印可状を捨てたり、法要の場にボロを着て現れたり、親交のあった本願寺門主 蓮如の留守中に寺に上がり込み、本堂の阿弥陀如来を枕にして眠ったりするなど数々の逸話がある。しかし、詩、狂歌、書画などを愛し自由に生きる姿は人々の共感を呼び江戸時代には『一休咄』というとんち話も語られるようになった。

 そんな自由気ままな生き方をする一休は、老後も自由。齢76歳を迎えるころには住吉の薬師堂で盲目の女性 森待者と出会う。彼女は当時20代とも40前後とも言われたがいずれにしても一休より、随分と年下だ。一休は自著『狂雲集』の中で森待者について絶世の美女と描写していたこともあり、彼女に愛情を注いでいたこともわかる。彼女との性生活も自著に書いてあり、女犯の戒も全く気にしていない。女犯どころか、飲酒も肉食も仏教の戒律で禁じられていることは全てやったというのだからずいぶんと型破りである。

 自由気ままに美女と同棲した老後。それだけではなく“一休寺”の名で知られる酬恩庵では、わび茶の創始者と言われる村田珠光、能役者の金春禅竹、連歌氏の柴屋軒宗長など、当時のそうそうたる文化人が一休の教えを受け、文化サロンさながらだったというのだから愛欲に溺れただけの老後ではないことがうかがい知れる。88歳の時にマラリアで亡くなった一休だが自分らしい生き方を死ぬまで貫きとおした。

 本書には教科書に出て来る人々の多くのその後の人生が描かれている。本書を読むと人生なんていつ何が起こるかわからないと思える。いつ死んでもいいように、今を生きることが大事なのだと改めて感じさせてくれる1冊だ。

文=舟崎泉美