芥川賞受賞の陰でひっそりと咲くリアル『火花』 “プロレタリア芸人”の過酷過ぎる日常

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/17

 灼熱のロックフェスの真っただ中、フードエリアの出店「炭火焼き肉たむら」の厨房に、ひょろりと長身の男が立っていた。本坊元児(ほんぼうがんじ)。お笑いコンビ・ソラシドのボケ担当の芸人だ。

 白い湯気立ち上る鉄板の前で、両手にヘラを握り、大量の肉をわしゃわしゃと無心に焼くその姿は、さながらアルバイト芸人か。否。彼は今年、初の自伝的小説を上梓した『プロレタリア芸人』(本坊元児/扶桑社)である。

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 今や芥川賞作家となった又吉直樹氏の『火花』が、文芸誌誌上で発表されたのが今年の1月7日。遅れること約1カ月後の2月5日に『プロレタリア芸人』は刊行された。ほぼ同時期に小説を発表した吉本芸人ふたり。哀しいかなその明暗はこの半年でさらに、見事に、大きく分かれてしまっている。前述したのは、夏フェスで先輩芸人たむらけんじの焼き肉店でバイト中の本坊を、偶然目撃したときの様子だ。

 本坊のツイートが、切ない。

この連日の猛暑の中、今日も過酷な肉体労働に従事しているかもしれない本坊元児に思いを馳せつつ、彼の半自叙伝である本書を紹介してみたい。

知られざる日雇い労働現場のリアル

 ソラシドがコンビを結成したのは2001年の1月、大阪NSCの20期生だ。あの麒麟・川島の自宅で、相方の水口と出会ったのがきっかけとなった。

大阪で活動していた彼らは、勝負を賭けて2010年に上京する。しかし、いざ出てきたものの、東京での彼らは芸人としての仕事がほとんど無い。すでに財布の中には二千円しかなく、そこで本坊は当座の生活資金を求めて、日払いの建設作業員のアルバイトを始めてしまう。

 以降、彼の日々は過酷な肉体労働を中心に回りだす。次々に売れていく同期への羨望や焦りとは裏腹に、工事現場で埃やアスベストにまみれて、ただひたすらに汗を流す毎日。朝礼でKY(危険予知)ミーティングが欠かせない現場。砕かれたサッカーボール大のコンクリを一輪台車に積み込んでは運ぶ、地獄の作業。ガラス粒子が体中に突き刺さり、痒みで発狂しそうになる解体工事現場。真冬のマンホールに入って高圧洗浄機で中を洗う、キツイ仕事。わけのわからない暗黙のルールや、現場で出くわす嫌な先輩労働者、毎月の公共料金や借金支払い日の恐怖。日々心が削られて、体はボロボロ。泥や断熱材の粒子が付着した作業着のまま風呂の浴槽に倒れ込み寝落ちするほど疲労困憊し、芸人としてのテレビ出演より、ぎっくり腰の回数が増えてゆく。

 そんなある日、相変わらず逼迫した経済状況にもかかわらず、本坊は沖縄の伝統芸能・エイサー団体に入会して三線を習い始める。17時まで工事現場で肉体労働、その後21時まで、疲労で膝をカックンカックンさせながら楽器を奏で、無心に踊り続ける。「“スリサーサー!”どんどん。楽しくなってますやん」「本坊君。何しに来た、東京に」と、思わず自問自答。その心の闇は浅いのか、深いのか。笑いとペーソス入り乱れる本坊の人生が、淡々と、飄々とした筆致で綴られてゆく。

 本書は文芸小説ではないが、しかし随所に、本坊の文才が感じられるうまいたとえやフレーズがある。

“解体の翌日には、目から涙と石膏が出てくる”凄まじさ。
 まるで“どこかの国の軽い刑罰”のような壮絶な肉体労働。
 そこはいわば“堀のない刑務所”の如し。

 お笑い稼業は、こうしたら売れるという成功の方程式はなく、いつどのようにして日の目を見るのか、それは誰にもわからない。本書発売後も、又吉氏のように賞を取ったり本がメガヒットを飛ばすこともなく、芸人仕事より肉体労働現場で働く日数のほうがいまだ多い様子の本坊元児。彼のプロレタリア芸人生活はいつ、終焉に近づくのだろう。

 本書は意外にも、本坊の未来日記で締められている。読み終えた後、頭にぽこっと浮かんできたのは、こんなフレーズだった。

「ただ、一さいは過ぎて行きます」。太宰治の『人間失格』の最終章の一文だ。

 本坊がなぜそんなオチをつけたのか。人生は諸行無常、か。今、どうにも八方ふさがりな状況にある方には、ぜひ『プロレタリア芸人』をおすすめしたい。彼の憤りや奮闘に共感したり、今の自分の小さな幸せに気づけるかもしれない。

 

 そんな本坊の最近のツイートをのぞいてみよう。

 そうだった。本書後半に記述されているが、生活に困窮した彼は先輩芸人の勧めで、専門用語を覚え必要な道具を買いそろえ、ハードな日雇い肉体労働よりは少し収入のよい、大工(のバイト)を始めたのだった。本が売れ、バイト生活を卒業して、ソラシドが芸人として華々しくブレイクする日はいつなのか。プロレタリア芸人の今後に注目したい。

文=タニハタ マユミ