「昔はよかった」なんてとんでもない! 「いまのほうが、ずっといい」か「昔もいまもたいして変わらない」という事実

社会

公開日:2015/9/2

 たまの休みに東京の下町を散歩して、「こういう古き良き昭和の香りがする家並みや風情を、いつまでも残してほしいなぁ」とつぶやいてみる。「火の用心」の拍子木の音を聞いて、古き良き日本の風物詩にしみじみとする。なにかと世知辛い現代だ。昔は風情があって、人々は品性や善意に満ちていた。もし、ひと昔前に生まれていたら、より豊かな人生が歩めたのかなぁ…なんて感傷に浸る日本人に、「もういいかげん【古き良き】という枕詞を使うのをやめてもらえませんか」と冷水をかけるのは、イタリア生まれの日本文化史研究家・パオロ・マッツァリーノ氏である。

 日本通を自認する氏の著書『「昔はよかった」病』(新潮社)によると、「世の中のほとんどのものは、女房と畳のように、新しいほうがいい」。たまの不便なら楽しいけれど、毎日のこととなると、古いものは不快なだけ。東京の下町で「風情を残してほしい」と口にする清潔好きな日本人は、ミストサウナやウォークインクローゼットが完備された新築マンションに住んでいるくせに、他人にはすきま風の入るボロ家にいつまでも住み続けてほしいと願っている“ひとでなし”だ、と手厳しい。

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 【古き良き】と対となる常套句は【昔はよかった】である。「昔は義理人情に溢れていた」「昔はいまのような凶悪犯罪なんてなかった」…「だから昔はよかった」という口癖を、本書では「昔はよかった病」とバッサリ。人間の記憶や思い出は都合よくできており、10、20年前のことですら、けっこうあやふや。ましてや、50年以上前ともなれば、悪い話は記憶から抹消され、良かったことだけが盛られているのが常。そういった“歪んだフィルター”を通していまの世の中を見るから、悪いことばかりが強調されると説明する。

 「昔は義理人情に溢れていた」という言葉は、確かによく聞く。例えば、前述の「火の用心」。主に年末、火災予防のため、拍子木を打って歩く有志の夜回りだが、近頃は「防犯パトロール」「防犯ボランティア」の名のもとに通年で見られる地域が増えてきている。義理人情の火が消えていないことに頼もしさを感じるかもしれないが、「拍子木の音で寝られない」と中止を求める声が各地で上がっているのをご存じだろうか。「善意に対して、なんて義理人情に薄い人たちだ」…と憤る人があるかもしれないが、著者いわく、間近で聞く拍子木の音は実際「オスプレイ並みの騒音」であり、これを毎晩聞かせることに「火の用心」の良識のなさを問うている。これに対して、火の用心を「絶対善」とする“信奉者”は、「昔は拍子木がうるさいなんていう人はいなかったのに…」「ああ、世知辛い世の中になった」と、日本人の劣化を嘆く(ただし、「昔の日本人」にシンパシーを感じる自分は含まれない)。

 昔の日本人にとって「火の用心」は、「ありがた迷惑」「善意の押し売り」ではなかったのだろうか。本書では、それを否定している。昭和の新聞の投書欄には、「寝られず迷惑」「静かに夜回りをしてほしい」、過激なものになると「夜回りを廃せ」などの声がしばしば掲載されていたらしいのだ。昔から非難されつつ、夜回りをする側本位の“義理人情”で続けられてきた「火の用心」。効果があれば、騒音やむなしの感もあるが、本書によると火災発生件数が減ったと証明する研究結果はない。そればかりか、犯罪抑止効果も期待できないという。空き巣が拍子木の音を聞くと、姿を隠し、火の用心が行ってしまうと行動を再開するのは、当然のことである。確かに、防犯ボランティアの8割以上が活動を開始した2005年以降、空き巣などの犯罪は急激に減少し続けているが、これはすでに2002年から見られていたことで、因果関係とはいいにくい。ところで、こういった科学的統計を持ち出すと、“夜回り信奉者”は「日本の風物詩なんだ」と激昂するというが、それこそ「昔はよかった病」に罹患していると辛辣だ。

 近年よくいわれる子どもの凶悪化・凶暴化や、“過去最悪”(「過去最高」ではない)を更新し続ける犯罪件数についても、日本人は情報による印象操作を受けているだけで、日本の治安は悪化しているどころか、「歴史上類を見ないほどによくなっている」とキッパリ。安全が高まるほど、たった1本しかない貧乏くじにあたる恐怖と不安が増大しているだけであり、これ以上どんなに見守りなどを強化しても、わずかな犯罪発生率をゼロにすることは不可能。「これ以上はオトナたちの力でもどうにもならないから、あとは自分で判断して生き残れるようになりなさい」と教えるのがホンモノの教育である、と持論を展開している。

 【昔はよかった】というフィルターを通さず、客観的に見渡せば「いまのほうが、ずっといい」か「昔もいまもたいして変わらない」というのが事実であると著者。「昔はよかった」「昔の人は立派だった」といまを否定する悲観論者にならず、「いつの時代も人間はずっとダメな生き物なんだ」と真実に目を向けるほうが気楽に生きられると提言している。

文=ルートつつみ