「私を忘れないで下さい」新たに発見された太宰治の芥川賞懇願の手紙、その人間らしさに驚きの声

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/17

    太宰治

 ピース・又吉直樹が愛してやまない作家・太宰治。同氏が若き日に作家・佐藤春夫に宛てて書いた手紙が、2015年9月7日(月)に新たに発見された。何の因果か、又吉が獲得した「芥川賞」を懇願する手紙の内容、そしてその想いの強さに世間からも注目が集まっている。

 明治42年、現在の青森県五所川原市に生まれた太宰は、10代より作家を志望し、同人雑誌『蜃気楼』や『細胞文芸』を発表した。その後、大学卒業の見込みがないため新聞社を受けるも不合格。昭和13年、井伏鱒二の紹介で御坂峠の天下茶屋に入り、その年、石原美知子と結婚、甲府での生活を始めた。短編集『富嶽百景』などを始め年間の作品発表数が増加。翌14年には東京都三鷹市に引っ越し、昭和16年には長女が誕生した。三鷹の地では、『走れメロス』などを発表している。

 昭和19年、小説『津軽』を執筆。昭和20年には空襲が激しくなってきたため、津軽に疎開し、22作品を書き上げた。昭和23年には、名作『人間失格』と『グッド・バイ』を執筆。この年、玉川上水で入水自殺した。享年38歳。

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 略歴では触れていないが、失踪騒ぎを起こしたり薬物の依存症になったりと、周囲を振り回してきた太宰だが、その作品に対する想いは非常に強い。特に芥川龍之介にとても憧れており、昭和10年に設けられた「芥川賞」では、主人公が半生を振り返る作品『逆行』を発表し、「第1回 芥川賞」候補にも選ばれた。なお、受賞できなかったのがよほど悔しかったのか、選考委員を務めた川端康成の選評に憤怒し、『文芸通信』に「冷く装うてはゐるが、ドストエフスキイふうのはげしく錯乱したあなたの愛情が私のからだをかつかつとほてらせた」といった内容の反論を発表している。

 先頃、そんな太宰の手紙が、佐藤春夫の遺族が保管していた資料の中から3通見つかった。内容は「こんどの芥川賞も私のまへを素通りするやうでございましたなら、私は再び五里霧中にさまよはなければなりません」「私を忘れないで下さい」「いのちをおまかせ申しあげます」など、死を匂わせつつ「芥川賞」を懇願するもの。過去にも太宰の受賞を懇願する手紙やはがきは発見されているが、「今回の発見でより受賞を熱望する様子が明らかになった」と専門家も評価している。

 発見された手紙を評価しているのは専門家だけはない。世間からも「人間臭くていい!」「必死な太宰が想像できなかっただけに、いい意味で裏切られた」「素直でかわいいな」など、再評価する声が多く上がった。また、「いままで毛嫌いしてたけど、これだけ人間らしい一面があるなら読んでみよう」「改めて読んだら違った部分が見えそう」といった声も見られ、太宰作品にトライするきっかけにもなったようだ。

 さらに、「又吉、何か言ってくれないか」「又吉、出番だぞ!」「憧れている人がこれだけ懇願している芥川賞を獲得した又吉よ、何を思うんだ」など、又吉がどう思うか気になる人も非常に多い。是非とも、彼の言葉が聞きたいところだ。