かのグーテンベルクは破産も経験…印刷本が受け入れられるまでの苦難の道のりとは?

社会

更新日:2015/10/2

 「あんな奴のもとには、一点たりともドイツ語の作品を送らなければよかったのだ! 奴ときたら、私の作品をとことん雑に、間違いだらけでめちゃめちゃに刷り上げてくれたのだから」

 宗教改革の口火を切ったルターは、自著の印刷を請け負った工房の主を名指ししてこう言い放つ。初期の印刷業者の仕事ぶりがわかる一節である。

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 インターネットの普及以降、本の出版数は右肩下がり。出版不況が続く昨今だが、それでも、出版科学研究所によると、2014年の書籍の新刊点数は7万6465点。その発行部数は10億8398万に上る。

 一方、『印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活』(アンドルー・ペティグリー:著、桑木野幸司:訳/白水社)によると、印刷術を発明したというドイツのグーテンベルクが、大事業として発行した聖書の初版はたった180部。それも、当時の印刷テクニックではこれだけ刷るのに2年あまりかかっているらしい。これを思えば、11億に近い部数はやはり途方もない数字のように思える。

 世界史の教科書には、このグーテンベルクの発明のために、本の価格がぐっと下がり、知識の普及に貢献したと簡潔に書かれていた。が、やはり歴史はそう簡単ではないようだ。

『印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活』は、15世紀半ばに印刷術が発明されてからその技術が普及し確固たる地位を築くまで、150年あまりの印刷術の歴史を包括的に綴った重厚な一冊。21世紀の革新的技術たるオンライン・リソースや検索エンジンなどを活用して、各所に散らばったデータを突き合わせ、書物と印刷の歴史の再構築を目指した意欲作である。

 本書によると、グーテンベルクは聖書出版事業にかなりの額を投資したものの、刷るだけに2年もの時間を費やした挙げ句、それまでの写本とは違い在庫管理の問題に直面。本を売りさばくことができず、無一文となって破産。グーテンベルクのみならず、初期の印刷業者の多くは経営を維持できずつぶれたという。そう、当時本は必要な場合にのみ写すことによって手に入れた時代。受容と供給が完全に一致していたから在庫などなかったのだ。だから、同じ本を数百冊も消費する市場というものがまだなかったことが、一番の大きな問題になったという。

 今のようにふらりと立ち寄った本屋で、パラパラめくっておもしろいからと購入するわけではない。本の扱いがまるで異次元の世界なのだ。では、どうやって印刷本の市場とやらが形成されたのか?

 本書では印刷業者による試行錯誤の様子が明らかにされているが、中でも宗教との関わりは大きいようだ。例えば、初期の印刷業者は、効率よく資金を回収するために、本を刷る間に一枚刷りの印刷にも着手。そのひとつが贖宥状、いわゆる免罪符である。罪の許しをお金で買うというやつだ。教皇がこれで教会建設のための資金を調達したことは有名な話だが、この贖宥状の大量発行に貢献したのが印刷業者というわけである。少ない投資で簡単に作れる贖宥状で、彼らはおおいに稼ぐことができたらしい。

 15世紀には、贖宥状は当然のように出回っていた。が、1517年にかのルターがこの贖宥状の発行を激しく非難する「九十五カ条の論題」を発表。そして宗教改革が始まる。このくだりも受験勉強で必死に覚えた人は多いだろう。この裏でも印刷業者が活躍していた。

 ルターが住んでいたのが、ドイツのヴィッテンベルクという何の変哲もない小さな町。ところが、ルターがこの町で教皇派の神学者を攻撃すべく大量の著書を発表して一変。教皇庁の搾取にあえぐ諸侯、市民、農民らがルターを支持し、救世主たる彼の著書を手に入れんとする印刷本の巨大な需要が生まれた。印刷業者にとって、ヴィッテンベルクに前代未聞のチャンスが到来したというわけである。しかもありがたいことに、ルターの著書は文章量が短く素早く生産できたそうだ。そして、あっという間に完売。ルターのおかげで出版ブームに沸いたヴィッテンベルクは、ヨーロッパでも有数の本の町に成長したという。

 ただ、これも現在本屋に並ぶ立派なベストセラー本とは、ちょっと様子が違うようだ。ルターは自身の著作を刊行してくれる印刷業者に対し、折に触れて不満をもらしていたという。それが、冒頭で紹介した、ルターが知人に宛てた手紙の一節。突っ込みどころ満載の体裁の悪い本も多かったらしい。

 本書では、その精度はともあれ、宗教改革で印刷業者が果たした役割のほかに、16世紀に蔓延した伝染病を克服するためのいかがわしい治療本の出版が横行されたこと、記者などがいない時代に実際にその様子を見た人が目撃談として執筆したニュース速報の発行が始まったことなどを、明らかにしている。印刷技術の向上ももちろんだが、大量に発行される印刷本が人々に求められ浸透し、時間をかけてその市場が形成されていった様子がわかる。

 現在、紙の書籍に代わらんとする電子書籍が出回るようになった。今はまだ、ずっしりとくる重さとページをめくる確かな手ごたえに愛着を感じる人が多いからか、紙の書籍に対する需要が圧倒的だ。スマホなどに比べたら、電子書籍の普及はずっと遅れている。だが、長い時間をかけて写本に代わり印刷本が受け入れられていった歴史を思えば、「やっぱり紙が一番」などと安易に考えることはできなさそうだ。

 その初期、写本そっくりに作られた印刷本は、さまざまなフォントを生み出したり、扉ページを作ったり、印刷本ならではの読みやすさを追求して人々に次第に受け入れられていったという。電子書籍も今はまだ違和感なく読めるように印刷本の特徴を多く備えているが、創意工夫が詰め込まれ印刷本に勝る利点を備えた姿に変わっていってもおかしくない。実際、電子書籍ならば作品を公表するハードルが下がるなど、中身には既に差が生まれている。そこに宗教改革ではないが、何らかの社会現象が生じたならば…。そう考えると、今、また本の歴史が変わるゆるやかながら大きな過渡期にあるのかもしれない。

文=林らいみ