木嶋佳苗が超越した、女性につきまとう美醜の問題―『黄泉醜女』花房観音インタビュー前編

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/17

『黄泉醜女 ヨモツシコメ』(花房観音/扶桑社)
『黄泉醜女 ヨモツシコメ』(花房観音/扶桑社)

 世間を騒がせる事件が起こったとき、男性の場合はそれが加害者であっても被害者であっても容姿ばかりが話題となることはあまりない。あまりにエキセントリックだったり記号的(見るからにオタクっぽいなど)だったりすると、「いかにもやりそう」などの中傷が飛び交うことはあるが、その美醜だけが事件と切り離され、ひとり歩きすることはほぼない。

 これが女性となると、世間の反応はまったく異なる。被害者が美人なら、当然のごとく消費される。加害者も然り。夫を殺し遺体をバラバラにして遺棄した美貌の妻は愛らしいニックネームをつけられ好奇の目にさらされた。では、その逆のケース、すなわち加害者の女性が美人とはほど遠い場合は……? こう問われると、多くの人が真っ先に〈彼女〉を思い出すだろう。

 花房観音さんの最新作『黄泉醜女 ヨモツシコメ』(扶桑社)も、あの事件にインスパイアされて書かれたものだ。〈彼女〉を彷彿とさせる殺人犯・春海さくらは女たちが見て見ぬふりしていたものを次々とあぶり出していく。美醜への執着、嫉妬、劣等感……。花房さんが事件をどう見たか、それが本作にどう繋がるのかをうかがった。

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―〈首都圏連続不審死事件〉を語るうえで、木嶋佳苗被告の容姿について触れない人はいないといっていいほどです。花房さんは当時、事件をどうご覧になりましたか?

花房観音さん(以下、花)「容姿のよくない女性が男をうまく渡り歩いて甘い蜜を吸うということ自体は、そんなにめずらしいことではありません。これまで私も何人もそうしたタイプの女性を見てきました。なのに、当時は誰と会っても木嶋のことが話題にのぼったし、何人もの女性作家が憑かれたように彼女について書きました。私は事件そのものより、これほどまで多くの女性があの事件に夢中になった、という現象のほうに興味をそそられました」

―それだけ、彼女の容姿が世間を驚かせたということですよね。本作では、殺人犯・さくらと縁があった女性たちが自らの容姿について向き合うことになります。読んでいるあいだずっと、「女の美醜は、誰のものなのか?」と問われている気がしました。

「女性がオシャレをするのも性を愉しむのも男性のためではなく自分のため、というフェミニズム的な考えは昔とくらべてずいぶん浸透しました。が、ほんとうに男性の目を気にしていない? と問われてイエスと即答できる女性はとても少ないのではないでしょうか。あるいは同性に媚びることもあるでしょう。私も化粧をしますし、少しでもきれいに見られたいという願望があります。それってやっぱり他者、特に男性の視線を気にしているからですよね」

「私は作家をしながらバスガイドの仕事にも就いていますが、修学旅行の児童を案内すると、男の子が女の子に“ブス、デブ”“近寄るなよ”などといっている場面によく出くわしました。大人は大人で平気でバスガイドを比較して、“あっちのガイドのほうが美人だな”といいます。そういっている人自身が、決して褒められた容姿ではないにもかかわらず。幼いころから、男性は女性の容姿をジャッジして、けなしてもいいことになっている。だから木嶋の事件も、犯した罪以上に、容姿を攻撃されたんです。ブスには何をいってもいいことになっていますから」

―かといって、美人であれば不快な思いをしなくて済むということもないような……。

「どんな美人女優でも、ちょっと年をとると“劣化した”といわれますよね。結局、女性に生まれたかぎり死ぬまで美醜と戦うしかないんです。戦っても、勝てないんですけどね。誰にとっても負け戦です。自分自身のこととしても、女性全体のこととしても、とても不快なことではありますが、生きていくうえで私たちは美醜の問題から逃れられないんですよね。なのに、木嶋はそこをひらりと超越しました。あれだけ自分を好きでいられるって、モンスターですよ。本人が書いた自伝を読んでも、この人にはかなわないと痛感しました。かないたくもないんですけど」

―木嶋が自身のセックスに饒舌といっていいほど語ったことについてはどう思われますか? 本作でも、さくらという女性を理解するうえで性の遍歴が欠かせない要素となっています。

「セックスの最中、お互いに褒めあうことってありますよね。“すごくイイだろ?”といわれたら、それほどでなくても“イイ”と応えます。ふたりで気持ちを高めるために必要なコミュニケーションではありますが、多くの女性はそこで褒められてもその場かぎりのものとわかっていて、どこか醒めた心持ちでいるものです。でも、木嶋は違いました。“私のセックス最高!”“身体もテクニックもスゴいのよ!”と真に受けて、それを公言もした。これは女性たちの価値観を、揺さぶりますよね。彼女も幼少時から数えきれないほど容姿をけなされているはずです。でも、こうしてセックスをとおしてついた肯定感や自信が、彼女をモンスターにしてしまったのかもしれません」

―いま、容姿が劣っているわけではないのに自己評価が低くて恋愛に積極的になれない女性が増えていますが、木嶋はその対極にいるのですね。

「自己肯定の塊です。私ってモテてモテて困っちゃうと信じて疑わないから、男性にも積極的にアプローチできるんです。自意識に縛られて自分を肯定できない〈こじらせ女子〉が多い現代という時代だから、木嶋の存在が際立ちます。たとえば20年ぐらい前に同じような事件があっても、ここまで注目はされなかったでしょう」

 現実世界では木嶋が、『黄泉醜女』ではさくらが〈鏡〉として映し出し、私たちに見せつけたものとはなんだったのか。後編に続きます。

取材・文=三浦ゆえ