声を失ったつんく♂、手記『「だから、生きる。」』で語られた葛藤の日々と家族への想い

芸能

公開日:2015/10/10

『「だから、生きる。」』(つんく♂/新潮社)
『「だから、生きる。」』(つんく♂/新潮社)

 シャ乱Qのボーカルとしてミリオンセラーを生み出し、モーニング娘。で一世を風靡したつんく♂。芸能界で大成功を収めた彼が、声帯を全摘し声を失ったことを今年4月に公表した。

 声帯を全摘。普通の人でも声が出せなくなるなんてひどく恐ろしく辛いことなのに、声を武器に戦ってきた彼にはさらにどれほど残酷なことだっただろう。そんな彼ががんとの闘いと心の変化を語るのが『「だから、生きる。」 』(つんく♂/新潮社)だ。

 フジテレビ系『とくダネ!』の小倉キャスターは「一気に読んだ」という。ほかにも、涙ながらに読んだという声が多く聞かれた。確かに、素顔を隠すことなく率直に心情を吐露する筆致は読みやすくも重みを感じる。仕事一筋でがむしゃらに働いてきた彼が一転して紡ぐようになった家族を想う言葉の数々には胸を締めつけられる。

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 そもそもつんく♂はいつから声の不調を感じていたのだろうか? 本書によると、それは2008年に日本武道館で行われたシャ乱Q結成二十周年記念ライブまで遡るという。その頃すでに声が出るかどうかも本当に不安だったとか。つんく♂と同じ頃にデビューしたミスチルやウルフルズなどが歌番組に出演しているのを見ると、「あいつらは楽しそうに普通に歌っているのに…」と、イライラとした感情や嫉妬を覚えることもあったようだ。

 2014年2月に生体検査を受けて、喉頭がんであることが発覚。医師からその事実を告げられたときは心も頭も整理がつかない状態だったそうだが、早期発見だったため治療をすれば治ると言われたとのこと。だから、「仕事のペースは落とさないぞ」などと考えていたという。まだ気持ちに多少余裕があったようだ。そんななか、治療のためにいち早く動き出したのがつんく♂の奥さんである。

 これまでベールに包まれていたつんく♂の奥さん。これが実にできた女性なのだ。彼女は元タレント・モデルで料理上手。夫が何時に帰ろうと起きて待っていてくれていたという。もはや今流行りの“プロ彼女”かと思ってしまったが、双子が生まれてからは亭主関白を気取っていたというつんく♂と立場が逆転。泣いている双子を尻目にすやすや寝ていたつんく♂に怒りをぶつけ、大人一人につき子供一人面倒を見るという体制が確立したらしい。こうして、仕事一辺倒だったつんく♂の生活は一変したという。そんな彼女は、夫の喉頭がんが発覚すると猛然とがんについて勉強を始める。精神的にふらつく自分より冷静で的確な判断を下してくれると、つんく♂は奥さんに身を任せたそうだ。「いまだに『もっと一緒にいたい』と思わせられる女の子」とつんく♂はのたまう。恥ずかしげに語るあたりにその想いの強さがうかがえる。

 さて、この奥さんが必死に探し出した治療法でつんく♂はがんと闘う。その結果として2014年9月にマスコミに発表されたのが“完全寛解”。だが、治ったはずの喉にずっと違和感があったらしい。不安と葛藤する日々が語られている。そして、9月末に再び生体検査。10月に入ってモーニング娘。のニューヨーク公演へ家族とともに向かうものの、病院から検査結果を知らせる電話を受ける。治療で叩ききれずに残ったがんが大きくなっていたことが判明し、公演がおわるとすぐに日本へ帰国、病院へ直行、そして声帯全摘へ。短い時間の中で、家族とともに生きるために声を失うことを少しずつ受け入れていったことが切々と綴られる。

 話すことができなくなる前、つんく♂は3人の子供たちに小さな声でゆっくりと短いメッセージを伝えたそうだ。そして、奥さんにもいくつかのメッセージを伝えた後、最後にいろんな口調で彼女の名前を何度も呼んだという。許されるならば、一生分話しておきたかっただろう。しかし、声帯の腫れがひどく、つんく♂は呼吸不全を起こしていたらしい。小さなかすれ声を出すのが精いっぱいという中で、最後の言葉を振り絞ったその気持ちは察するにあまりある。

 つんく♂は、人生で一番大事にしているのは“感謝”だと語っている。その通り、本書は会社のスタッフ、友人、病院の先生、芸能界でお世話になった先輩、そして家族への感謝の言葉にあふれている。このため、温かな気持ちになれるとともに、家族のために未来を見据えて生きる彼から希望さえ分けてもらえるように思う。

 現在、食道発声法を訓練しているというつんく♂。昔のように歌うことは難しくとも、その声が一番に愛する家族へ届くことを願ってやまない。

文=林らいみ