【本好き必読!】腹黒イケメンが魂の宿る「まほろ本」を扱う不思議な書店とは?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/17

 「自分の友達は本だけ――。」読書好きなら、一瞬でもこう思ったことがある人は多いのではないだろうか。時には心を支え、時には夢を与え、時には背中を押してくれる、本。そこに、もし魂が宿ったら――。本読みなら一度はする想像かも知れない。そんなファンタジックな世界を、読書家たちの夢を真っ直ぐに描ききっているのが、三萩せんや著『神さまのいる書店 まほろばの夏』(KADOKAWA)だ。

 主人公、紙山ヨミは高校2年生。昔、親友に裏切られた経験から、どこにも自分の“居場所”が見いだせず、本を心の拠り所に、学校の図書室に通う日々。夏休みを迎えたそんなある日、司書教諭のノリコから、「本へ恩返し、してこない?」と、とある書店を紹介される。さきみたま市の裏道通り三番地にあるその書店は、「まほろば屋書店」。魂の宿る「生きた本」、“まほろ本”を専門に扱う書店だった――。

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 飄々とした人間の店主ナラブ、近寄りがたい金髪イケメンの“まほろ本”・サクヤ、あるまじきマッチョさを誇る執事・トジ。そしてヨミの親友で小説家志望のフミカ。登場人物たちはそれぞれ個性にあふれながらも(何しろ人間ではない“本”が多く登場するものだから)、根っからの悪人が誰一人として登場しない。ゆっくりと腰を落ち着けて、安心して読んでみてほしい。また埼玉県さいたま市付近にお住まいの方は、細かい状況描写に度々ニヤリとさせられるかも。さきみたま市の名の通り、埼玉県・大宮界隈がこの本の聖地だ。

 特に筆者が強く感情移入してしまったのは、主人公・ヨミの“不器用”設定。不器用と言っても、人に好意を伝えるのが下手だとか(それもある不器用な少女なのは確かなのだが)、そんなチャチなものでは断じてなく、おみくじをうまく結べず、折鶴を折れば紙クズが出来上がるという、絶望的なレベルの手先の“不器用”さである。筆者も幼稚園に通っていたころ、みんなが先生の言うとおりに着々と折り紙を折ってゆくのに全くついてゆけず、みんなが折り終わった段階でクシャクシャになった自分の紙切れを見つめて泣き出す……そんな子供だった(あのころはかわいかった)。絵のレベルも小学1年生の頃から今(齢25)に至るまで、1ミリたりとも進歩していない。

 が、そんな(?)不器用さを備えたヨミが、「まほろば屋書店」で本の補修に挑戦する。ツンツンしている“まほろ本”・サクヤに、「その冗談みたいな不器用さ、見れば分かるって。お前の努力は無駄だ」などとキツイ言葉をぶつけられながらもめげずに、「あいつを見返してやる!」と、来る日も来る日も、手をボロボロにしながら回数を重ね、最終的に大きな仕事を一つ成し遂げることになる……そしてヨミとサクヤの関係も変わっていく……のかどうかは、ぜひとも本書を読んで確認してみてほしい。

 細かいディティールも本好きにはたまらない。カバーを取れば、作中のサクヤの“本体”そっくりな表紙が顔をのぞかせ、物語のラストは、フミカ作の小説(作中作)からの引用で締められている。海外文学でよくある、1ページ目の、「母と父に捧ぐ」的な序文、なんとなく好きだな、という方、多いのではないだろうか。そんな志向をくすぐるギミックが、この本には沢山散りばめられている。1冊まるごと楽しめる本として、手元に置いておきたいところだ。

 読み終えて何よりも強く思うのは、「この著者は、本当に心から本を愛しているんだな」ということ。魂の宿る本、そしてその本であるが故の葛藤を、周りを取り巻く人間の心の動きと共に描き出す筆致は、本を愛し、本に感謝する気持ちからしか生まれ得ないだろうと思わせられる。

 本好きならだれもが心奪われる、友情あり、恋愛あり、成長ありの、ひたすら真っ直ぐに感動できる、まさに「生きた」一冊だった。