もはや日本食! カレーライスの歴史を名著でひもとく

食・料理

公開日:2015/11/7

『カレーライスと日本人』(森枝卓士/講談社)
『カレーライスと日本人』(森枝卓士/講談社)

 子供の頃から数え切れないくらい食べてきた、カレーライス。母が作ってくれた味、友達の家でご馳走になった味、給食での味、キャンプでの味、喫茶店での味、1人暮らしの始めたてに自炊して何日もかけて食べた味…。味の違いの数だけ思い出がある。日本人はカレーと共に成長する、といってもいいくらい、我々はカレーと仲良しだ。

 近年では、カレーとひと口にいってもさまざまな形態の料理がある。しかし、まだまだカレーといえば、カレーライス。ごはんに、とろみのあるルウをかけたものだ。具は豚肉、じゃがいも、にんじん、たまねぎが基本だろう。インド人に、カレーライスを食べてもらったところ、「インドのカレーとはちょっとちがうが、美味しい」との反応が返ってきたそうだ。このエピソードは、『カレーライスと日本人』(森枝卓士/講談社)に紹介されているもの。本書は、カレーライスの歴史を記した名著だ。まずは、ライスの部分を棚に上げ、カレーの由来を紹介しよう。

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 カレーの起源といえば、まず思い浮かぶのはインドだろう。しかし、味・形状とも、日本のカレーに近いものは、どこにも存在しない。インド料理はそのほとんどが、スパイスを混ぜ合わせる調理法で、味も多種多様。カレーの定義を、スパイスをミックスさせた料理だとすれば、インド料理すべてがカレーだ。しかし、「カレー」と呼ばれる1つの限定された味はないこと、とろみのないスープ状の形態であることから、日本のカレーとはかなりの隔たりがある。

 カレーの起源として、次に候補に挙がるのは、イギリスだ。インドを植民地化していた大英帝国において、C&Bなる食品会社が世界で初めてカレー粉を商品化したからだ。しかし、著者は社史をひもといてみたものの、当時のことがわかる資料がほとんど残っていない。商品化したのは1800年代であろうが、正確な年の記録がない。売り上げも芳しくなかったのか、社内で重要視されないまま、国内市場から撤退してしまった。

 しかし、イギリスで1861年出版の家庭料理の本には、カレー粉の作り方からレクチャーされたカレー料理が紹介されている。料理本には、“小麦粉を入れてとろみをつける” “ごはんと共に食べる”という記述があり、現在の日本のカレーライスの原型を見ることができる。

 日本にカレーが入ってきたのは、明治になってから。1880年代の鹿鳴館時代に、高級な西洋料理として、ライスカレイが入ってきたのが始まりだ。そして、この時、日本に最初に入ってきた西洋香辛料が、イギリスC&B社のカレー粉だ。日本では長らく、「カレー粉といえばC&B」といわれるほど、C&Bのカレー粉は本国よりもメジャーな扱いを受けていた。昭和に入ると、現在のヱスビー食品が、国産カレー粉を発売し、家庭にもその味が入ってくるようになる。戦後になると固形のカレールウの販売も広がった。

 カレーが日本に広まった理由は、以下の2つが考えられる。1つ目は、カレーが米と共に食せる味、形態であること。つまり、米を主食とする日本人には、馴染みやすい西洋料理だったのだ。理由の2つ目は、軍隊の影響だ。大人数に食事を提供しなければならない軍隊にとって、大鍋で一気に作ることができ、ひとり一品で済むライスカレーは最適の料理。頻繁に供される定番メニューだったという。ここで味を覚えた人たちが、故郷に帰り再現したことで、農村部にもカレーの味が伝わったのだ。

 カレーがカレーライスとして、国民食の名を冠するのは、高度成長期になってからのこと。テレビでカレールウのCMが流れるようになり、日々の献立のレパートリーに加わり始める。特に、ハウスバーモントカレーは、リンゴと蜂蜜入りがシンボリックな商品で、カレーのイメージを、“子供には食べにくい辛い料理”から、“子供が大好きな料理”に変えたという。

 こうして、歴史を辿ってみると、カレーライスは、インド、イギリスのカレーを超越して、もはや日本食であることがわかる。1つの料理が秘めたる壮大な歴史を知り、今日のあなたのカレーが、より良き思い出の1ページとなりますように。

文=奥みんす