いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか?【立川談慶インタビュー】

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公開日:2015/11/16

『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(立川談慶/大和書房)
『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(立川談慶/大和書房)

 漫才師は、最新の時事やトレンド、芸能ゴシップなどを織り交ぜながら、つねに新しいネタを披露する。面白いか面白くないかの判断は、ネタの新しさとオリジナリティに因るところが大きい。対して落語家は、江戸時代に作られた古典落語を繰り返す。ネタが新しいわけでも、オリジナルなわけでもない。しかも落語の数は、現在活動している落語家の数およそ800よりも少ないという。

 『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(立川談慶/大和書房)――言われてみれば、なぜなんだろうか。本書のテーマは、落語そのものではなく、コミュニケーション。話す内容は同じなのになぜ面白いかを探る。すると“噺の真髄”が見えてくるというわけだ。著者の立川談慶さんに話を聞いた。

立川談慶さん

「独演会名人」になっていないか?

 落語家は入門すると、前座、二つ目、真打ち、というステップを踏みます。真打ちになると「独演会」という落語会を開くんですが、自分の名前だけで集客する独演会は名誉なこと。ですが、独演会だけ、つまり自分のお客さんの前だけで笑いをとる落語家は、「独演会名人」とそしりを受けます。これは落語家に限らず、だれにでも当てはまることだと思うんですよ。ホームでは強いのに、アウェイでは何もできない。SNSはその典型ですよね。一部の身内にだけウケている。

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 じつは、木嶋佳苗被告も、独演会名人なんですよ。なぜ木嶋被告があれほど男を手玉に取ることができたのかというと、ダーゲットを自分に興味がある男性に限定しているからです。木嶋被告のことを「なんであんなデブスが?」と思うような男性は、端から相手にしていないんですよ。ターゲットを限定してしまえば主導権を握れるので、デブスでもモテる可能性があるということにもなりますね(笑)。

会話の主導権を握るには?

 いかに主導権を握るかが、コミュニケーションの鍵になってきます。主導権を握るためには、喋りながら自分を俯瞰で見ることが大切。うまい落語家は、「いまお客さんの心を掴みそこなっているな」ということも含めて、自分の心理状態をばらして、お客さんに安心感を与えたりします。そのように、つねに駆け引きを想定して、それに慣れろ、ということですね。

 最初は失敗すると思いますが、いま目の前のことは失敗かもしれないけど、次の機会になればその失敗が経験になるわけです。経験値として幅が広がりますから、「この間、合コンひどかったんだよ」みたいなネタになるじゃないですか。一回成功したからといって、その成功事例は応用できないことが多い。だから自分で自分に無茶ぶりしましょう、こうしたら無茶ぶりできますよ、ということを本に詳しく書きました。

正しいキャラ認知を

 自分のキャラ認知が間違っている人、多いんですよ。有吉弘行さんが毒舌を言っても許されるのは、有吉さんのキャラが確立されているからなんですよね。毒蝮三太夫さんなら、「ババア」と言っても許される。キャラが確立されるまで、彼らはものすごく努力を積み重ねてきたわけですから、ただ真似て「毒舌キャラ」ぶったところでイタい人になるだけです。

 逆に、苦手なことはキャラにしてしまえばうまくいきます。歯医者さんで治療前に「しみますよ」と言われると、安心しますよね。それと同じで、「そそっかしいんです」「早とちりしてしまうんです」と先に言えば、この人は自分を冷静に分析できるんだな、と受け取ってもらえるものです。かと言って「人の悪口が大好きです」なんて言われると、ちょっと付き合いたくないな、となりますから、さじ加減ですけどね。

間こそが会話の味わい

 会話のなかで、「間が怖い」という人も多いですよね。でも間というのは、お互いがお互いを思いやる時間なので、絶対に必要なんです。落語のテープを聞くと分かりやすいです。沈黙のなかで笑いが起きますから。間というものを味わう、慈しむ、愛する、という経験を積んでいくと、体がなじんできます。間が空くことに恐怖心のある人は、落語を聞くのが一番いいですよ。

 あとは、タクシーで無愛想な運転手さんに出くわしたとき、とにかく黙ってみてください。道を聞かれたら「右」「左」「渋谷」とか、単語で返すだけ。そうすると、大抵、運転手さんは愛想がよくなります。だれしも根底に、間というものへの不安があるんですよね。だからこそ間を味方にできれば強いです。

個性はあとからついてくる

 落語家は修行期間がありますが、修行できる環境にない人は、セルフ修行をするといいと思います。修行というのは師匠の無茶ぶりにいかに応えるかですから、セルフ修行の場合は自分で自分に無茶ぶりをするんです。ちょっとキツいな、ということをやるといいですよ。自分がどうなりたいかという将来像を描いて、そこから逆算して、いまどうすればいいか考えましょう。

 バブルの頃はとくに、自分が個性的だということをいかにアピールするか、みんな躍起になっていましたが、見る目のある人からすれば、背伸びしてるなとすぐ分かるわけです。師匠談志は「個性は迷惑」と言い切っていますが、長期的に見て、そっちのほうがよっぽど個性を発揮できます。

 世間では、「個性はもともと備わっているもの、自信はあとからつくもの」と思われていますが、逆なんです。自信は自分に時間を割いてくれる人へのエチケットとして、最初から持たないといけないし、個性はあとからついてくるものです。だから落語家は、同じような服装で、同じような髪型で、同じような口調で、同じお題を喋っても、みんな個性的なんですよ。

取材・文・撮影=尾崎ムギ子